新しき弦硬く張る夜長かな

姫路で行われた音楽フェス『姫路サウンドトポロジー』に出演。

ここでも新米が活躍してくれました。


姫路音楽行脚の一日

村のビアガーデンから神戸のイベントホールまで、ここ最近、月1ペースになってきているcanorusのライブ活動。

このたびは、『姫路サウンドトポロジー』という音楽フェスティバルに出演しました。

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姫路の複数の会場を横断する”ライブサーキット”形式で、リストバンドを見せれば4会場出入り自由。

青いリストバンドをつけた人々が、姫路城そばの商店街をにぎやかに行き来していました。


わたしたち夫婦にとっては、元たま・知久寿焼さんをはじめ、敬愛するアーティストがずらりと顔をそろえるなかでの大一番。

会場は、事務所を借りているQuiet Holidayでいわば”ホーム”のはずが、この空間でかつて経験したことのない人口密度と熱気により、ペースをつかむのに少し時間が掛かりました。(反省・・・)

出演後は、いち音楽ファンとして、知久さん、たゆたうさん、ゑでゐ鼓雨麿さんなどのライブを鑑賞。

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正真正銘の”アーティスト”のパフォーマンスを間近で体感でき、とても刺激になりました。


音楽イベントの物販で新米を売る。

わたしたちはまだ音源といえる商品を持っていません。

そこで、ご用意いただいた物販コーナーには谷間の家さんきらの新米を置きました。

(限定5セットだったのですが、ありがたいことに完売!)

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出演後、20代くらいの女性から

「CDありますか?あったら欲しいんですけど」

と声を掛けていただいたものの

「あ・・・、すみません、米しか無いんです」

と謎の回答をせざるを得ませんでした。

そして残念ながら、その方はお米は望んでいなかったようでした。


農業=クリエイティブ!?

閉会後の打ち上げ。

同席した漫画家さんに、月刊誌に掲載された作品を見せてもらいながら

「どうやったらこんな脚本と絵を1人で作れるんですか?」

と尋ねたときのこと。

「ずっと描いてたら出来るようになるんですよ。」

「お米を作っていない人間からしたらお米をつくるのもすごいと思うので、同じことじゃないですか?」

と言われてドキッとしました。

峰山高原ホテルリラクシアでも販売中。
峰山高原ホテルリラクシアでも販売中。

わたしたちはまだ1年目の新米農家(?)

もっと美味しいお米をつくるためにこれから色んな挑戦をしたいと思っていますが、米作りをはじめ農業は、本来的にクリエイティブな営みなのかもしれません。

 

食べ物を作る。

詩を生む。

曲を作る。

 

それぞれ形は違えど、自分なりに、純度の高い「ものづくり」をしていきたいと思います。


今日の一句

新しき 弦硬く張る 夜長かな

あたらしき げんかたくはる よながかな

季語:夜長(秋)

村がひっそりと寝静まった、ライブ前日の深夜。

虫の音がうっすらと聴こえる畳の間で、演奏イメージをととのえながら1本ずつ弦を張り替えていきました。

2件のコメント

  1. CDを求めたら新米?
    きっと、ネット上のどこかに呟きがあるでしょう。(^^;)
    でも、音楽イベントに出るなら、そういう準備も必要でしょうね。
    商売抜きにしても、お客さん目線で考えたならば。

    ものづくりは、どれも大変です。
    しかし、望む物が出来た時の喜びは、何物にも代えがたい。
    その苦労も喜びも新米で感じていながら、ものづくりと思っていなかったとは。。。

    その世界に入る理由次第なんでしょうね。

    創造したい物があるから。
    生活の為。
    お金の為。

    望んで始める時は、ものづくりであることも、その喜びも知っている。
    しかし、仕方なく始めた時は、物が出来てから気付く。
    又は、人に言われて気付く。

    でも、その喜びと苦労のバランスが納得いくものなのかが問題。

    かつて、勤め人がアーティストにインタビューしました。
    「創作活動されるのって、凄いですね。」
    で、聞かれた側は、
    「勤め人の我慢強さは尊敬に値します。」

    外からのが、いろいろ見えるってことですかね。

    1. わたしにとっては思いがけないきっかけではじまった米づくりですが、収穫の喜びは本当に言葉にできないものがありますね。

      芸術やアートの「クリエイティブ」の文脈の中に、突然「米作り」が入ってきてハッとしました。
      自然の恵みをいただいているありがたみはを感じるものの、「自分が作った」という感覚はあまり無かったかもしれません。
      「大地が育ててくれた」というか・・・。そこが作曲や句作とは違うと感じる点です。

      けれど、米作りをしていない人からみたら、稲の成長に気長に寄り添う営みはとても創造的に映るのでしょうね。

      日々いろいろな分野の人と出会うことで、気づきがあります。

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