巌に沿い流るる水や桐の花


隣の芝生を見れば、みずからの芝生の色がよく分かる?

出張のさなか、長谷での暮らしを思います。


神様の集う地にて。

 

仕事で島根は出雲方面に来ています。

宿の主人から教えてもらった、有機農業のパイオニアのひとり佐藤忠吉さんの話。

明るい盆地、横田地区に残る食の文化。

仁多米。

一代で築いた足立美術館の現在進行形。

神話にも登場する「玉」の世界。

いろんなインスピレーションを得ています。

わたしも妻も、山陰特に島根のファン。

もし暮らす場所を自由に選べるなら、、、と候補に浮かぶ地が島根にはいくつかあります。

されど、ホームは兵庫の神河町。

長谷。

訪れた先でお国自慢をする際の「お国」は、今や姫路よりも長谷の話です。


「できること」は限られている。

 

一方、長谷を少し離れ、他の”田舎”の田んぼを見たり話を聞いたりしていると、ある程度共通項が見えてきます。

 

誰しも他の土地に目移りすることがあると思います。

ただ、こといわゆる”田舎暮らし”となれば、個人の適性があり、おそらくできることとできないことはそう大きく変わらず、同じような喜びと課題が出てくるのではと思います。

 

例えば、自分の場合、そもそも農作業全般がそれほど得意なわけではありません(車や機械の操縦、運動神経など本来乏しい要素のオンパレードです)

 

農作業の中でも得手不得手があります。

わたしの場合、

・イチからまっすぐに植えていく田植えは苦手

but

・植わった状態から逆算していく稲刈りは比較的スムーズ
※あくまで自分比です。

 

あくまで一例ですが、おそらくはどこに行っても自身の傾向や”キャラ”はそう変わらないんだろうなぁと最近は思っています。

畑に敷く葦(アシ)を、農園の利用者さんたちと刈っているところ。

できれば水のように

 

仕事にも当てはまります。

比較的得意なのは、ゼロから何かを作り提案する作業よりも、会社の歴史や事業の統廃合など複雑に絡みあった情報を解きほぐし、整理していく作業。
なので、「ディレクター」=編集者なのです。

明らかに「できない」分野が分かっているので、提案にあたっては各分野のエキスパートに力を貸していただいて、客先の期待値を超えられるようベストを尽くすというスタンスです。

 

会社にいた時にはそのあたりの身のこなしがうまくできず、逆に苦手な土俵での戦いにを余儀なくされていたところもありました。今は、必然的に「できること」を中心に仕事を組み立てるようになっているかもしれません。


村の生活にあっては、営農組合では会計。消防団では異なる世代とのコミュニケーション。

いずれも、事業や活動の本丸ではないもの、一応の「役割」が与えられているのは幸せなことです。

 

「全然畑違いのことをやって大変じゃないですか」

よく聞かれる質問ですが、一応の答えは「始めることは簡単」「続け方を考えて実践するのが大変」。

一人ならなおさら。

 

でも幸いにいっしょにやる人がいれば、ある程度自分の能力の限界や適性に気づき、相談しながら役割を変えていくこともできるかもしれません。

この考え方は少なからず自分の心理的クッションになっていて、「飛び込んだらなんとかなる(かもしれない)という30代なかばの信条にもつながっています。

 

固形の大きな石が、ピタッとはまる場所を探すのは大変なこと。

でも水や液体であれば、岩の表面にも、小石と小石の隙間にも沿い、どこかにたどり着きます。

なかば消去法的でもあるのですが、どちらかといえば「水の生き方」のほうが自分には合っているし楽しそうな予感がします。

 

雄大な自然と歴史が息づく出雲で、そんなことを考えました。

 

 


今日の一句

巌に沿い流るる水や桐の花

いわにそい ながるるみずや きりのはな

季語:桐の花(夏)

出雲の空に、控えめながらも鮮やかに咲く桐の花。

山奥の秘湯にも、水は絶えることがありません。


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