暮らしの変化と俳句 #3 「子を持つ親」となる気持ち

20代で突如始まった、夫婦の”田舎暮らし”。ヤギのメエ、そして息子が加わり、「自分の家族」を持ったのだという実感が日に日に増しています。

幸せのアベレージ

「不幸にはバリエーションがあるけど、幸せにはアベレージがある」

ずっと胸に残っていて、折に触れて考えさせられる、恩師の言葉です。

会社を辞める決断をした時点で、それまで乗りっぱなしだった「レール」を降りるという覚悟はしていました。

「若気の至り」なる燃料がまだ残っていた20代の後半に、結婚と同時に移住。

計画も、計算もない、今考えても無謀でしかない行動にその後どれだけ僕たちじしんが苦しめられたか。当時よりご縁のある方は、よくご存知のところと思います。

「お金が無い」

「仕事が無い」

何不自由ない子供時代を過ごし、進学〜就職のいわゆるエスカレーターに乗ってきた自分が20代の終わりにその経験をできたことは、その有り難みを身に沁みて知るという意味で本当に貴重だったと思っています。(妻には苦労を掛けましたが・・・修羅場こそ女の肝っ玉が見えますね)

幸いに「人生の師」といえる先輩方とのご縁にも恵まれ、仕事はだんだんと軌道に。

一方で僕たちにとっての砦とも言える悩みは、こどもをなかなか授からないこと。月日が経つごとに高まる焦り。本人に傷つけるつもりはなくても、当時者を追い詰めるような周囲のことば、視線。

振り返ると、その苦しみを直視しないようにするために、僕も妻も、ある種の執念で”自分以外のための”いろんな仕事や活動に取り組んできた側面もあったように思います。

長男が産声をあげた瞬間。

それは、自分の中でピンと張りつめていたなにかの糸が切れた瞬間でもありました。

「待ってくれる人がいて、役に立ったと思える」仕事の醍醐味が失われることはなく、また年々増していく長谷・大川原の暮らしの味わいが損なわれることもありません。

けれど、静かな怒涛ともいえる30代前半で「自分のための人生」をある程度走りきったという気持ちとともに、これまで背負ってきたものが軽くなり、肩の力が抜けるような、不思議な浮遊感の中に今はいます。

0歳児の父親。むしろ今からが始まり、のはず。

”成り行き人生”の本領発揮で、次はこどもにフォーカスを向けて、そこから感じるものに心を向けていったさきに何が見えるのか。

少し先の未来を想いながら、妻の手料理に酒を酌む35歳最後の夜です。

(発表句より)

夏の海素足の妻と孕み子と

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