よりによって、この三連休は雨続きでした。
通り雨ならまだしも、「じとじと」長い雨。お出かけの予定を変更された方も多かったのではないでしょうか。(テレビのお天気キャスターみたいですね)
「霧」?「もや」?「かすみ」?
今や”日本のマチュピチュ”と呼ばれる竹田城の雲海ではありませんが、山里である長谷でも、雨はしばしば霧を伴います。
この連休中も、北の砥峰方面、南の長谷駅方面いずれも、白い霧が湯気のように立ち上がっていました。
ところで、「霧」と「もや」の違いは何でしょうか。
気象庁の定義によれば、「霧」は「微小な浮遊水滴により視程が1km未満の状態」。
「もや」は、「微小な浮遊水滴や湿った微粒子により視程が1km以上、10km未満となっている状態」。
たとえば「霧の中に迷い込む」と表現することがありますが、同じ現象でも、自分の置かれた位置によって呼称が変わるということでしょうか?(詳しい方、教えてください!)
ちなみに俳句において頻出する「かすみ」については、「気象観測において定義がされていないので用いない。」というのが、何とも「らしい」と思いました。
霧まみれの砥峰高原
そういえばこの夏、「ヘイケボタルが観られる」という噂を聞きつけて、台風前日の夜に砥峰高原へ登ったときのこと。
山道の途中から霧まみれで本当に前後が見えなくなり、カーブの度にクラクションを鳴らしながらやっとの思いで頂へ。その光景は、良く言えば「まるで雲の上を歩いているよう」、妻曰く「地獄のよう」でした。
砥峰高原の逆PRですね・・・。
山の天気は変わりやすく霧がちなので、夜に登る際はどうかご注意ください。(蛍鑑賞ポイントは発見したので、また来年、お越しくださった方には案内しようと思います!)
今日の一句
山の精 気配鎮めて 秋黴雨
やまのせい けはいしずめて あきついり
季語:秋黴雨(秋)
「秋黴雨(あきついり)」は、梅雨のように長く降る秋の雨。「黴(かび)」という文字を含みます。
「秋入梅(あきついり)」という表記も。
柳田國男曰く、昔の人は「神様がいるとしたら山の上に違いない」と思っていたそうです。なぜなら、米や畑の作物を育てる水は山が生み出しているから。よって、かつての日本人は山の上に住むことを避けた、とも。
今も山に精霊がいるとしたら、恵みでもある秋の長雨を、眼を閉じ静かに受け止めているのではないかと思います。