近くにありながら訪れたことのなかった『福本遺跡』。
雪もちらつく曇天の中でしたが、ふらりと立ち寄ってみました。
遺跡までは徒歩で。
市川方面から312号線を北上していくと、左手にナフコ神崎店の大きな看板が見えてきます。道をはさんで向かいの斜面を登ったあたりに、福本遺跡はあります。
この日は村の方々に教えてもらった最新の七輪や電気ファンヒーターの送風パイプを探すのが目的だったのですが、ふと思い立って妻と遺跡を見に行ってみることに。
試みに車で登ってみたものの狭い一本道で停車するスペースが無かったため、ナフコで買い物を終えてから歩いて登りました。
縄文の暮らしに想いを馳せて
福本遺跡は戦後に発見された新しい遺跡で、竪穴住居が復元されています。
’’昭和27(1952)年1月、偶然に発見された一片の押型文様土器片により、この地域は播磨地方では最も古い早期縄文時代の遺跡地とされましたが、その後の発掘調査を経て旧石器時代の遺物出土が確認されたことで約一万三千年前から近世に至るまで、人が居住した複合遺跡として評価されました。’’(神河町公式観光サイトより)
縄文時代には、家族の中で性別や年齢により役割を分担して暮らしていたそうです。
父親の父性。母親の母性。お年寄りの知恵。子供の元気。
自然のサイクルの中で、ひとりひとりが必要とされて共同生活を営む姿は、人間の暮らしの原点としていつか見直されていくのかもしれません。
今日の一句
縄文の空 平成の空 枯野人
じょうもんのそら へいせいのそら かれのびと
季語:枯野人(冬)
一面に広がる野原と空。
刈り取られたススキの上を歩きながら見上げる空は、1万数千年の昔とそっくり同じ色なのか、はたまた別の顔なのか。
私たちは到底知ることが出来ません。