田舎暮らしと「プライバシー」空間
今のところ、我が家には「プライバシー」がほとんど存在しません。
私たちが暮らしている母屋部分は主に座敷4間ですが、仏間と客間に2間を割くと、残り2間。しかもその2間は東西の通り道になっているため仕切りは無し。そうなると、いわゆる「自分の部屋」はありません。
私は、東京で男友達とルームシェアをした経験もあり、そのあたりの耐性はある方だと思います(鈍感?)。しかし妻は、実家の自分の部屋には親を一歩も入らせないというほどもとはプライバシー意識の高いタイプだったので、何かと口論の多かった引っ越し当初は、逃げ場がなく発狂寸前だったそうです。
結婚前、僕たちより先に夫婦で岡山・美作の古民家に移住し、ジュエリーデザインと『サンソングランチ』というお店を手掛けている山本敦史くん宅にお邪魔した際のこと。ご近所さんがノックも無しに
「やっとるかー!!」
的なテンションで玄関に乗り込んでくるのを経験して衝撃を受けましたが、田舎で暮らすと少なからずそういうところがあるようです。
私たち夫婦も、貸切の準備などで夜更かしした翌朝早くに、野菜や差し入れを手に訪れてくれるご近所さんの声で目が覚め、着替えもそこそこにお出迎えする恥ずかしい思いをする場面があります(笑)
我が家の場合は、砥峰高原に向かう大通り沿いではあるものの、門から少し奥まって母屋があるため通りがかりの人と目が合うようなことはありません。ただそれでも、共同体における人との距離は相当近い環境だと思います。
このあたりの「オープンな環境」を楽しめるかどうかは、田舎暮らしが肌に合うか合わないかを分ける案外大きなポイントになるのかもしれません。
今日の一句
秋風や 妻帰るらし 砂利の音
あきかぜや つまかえるらし じゃりのおと
季語:秋風(秋)
結婚当初から、基本的に同じ空間で過ごし、車は1台、近所にはカフェもコンビニも無い。
感覚としては、24時間のうちの大部分を共に過ごしているような心地ですが、最近は別行動も増えてきて、たとえばある夕方は、僕がパソコンで執筆、妻が茶道のお稽古。
見送った直後は、心の中で
「自分の時間や~!万歳!」
と思うのですが、一人でいて何か思いついたり面白い虫を見つけたりしたときに、「なぁなぁ」と声を掛ける相手がいないことに気付き、つい時計を見上げてしまうことも。
そんな中、決して静かとは言えない足取りで砂利を踏み鳴らす音が聴こえると、「プライバシー」の無い時間がまた訪れることに、なんだかほっとするのです。