春の日の訛り帯びたる法話かな


春らしい陽気に恵まれて。

義祖母の13回忌が営まれました。


「おばあちゃんの家」に集うひととき

 

この地域の宗派で圧倒的に多いのは、禅宗です。

旧蘆田家もその例に洩れません。

壇寺である祐泉寺の年忌法要においては、まず仏壇で経を上げていただき、次に墓で、そして寺でもと計3箇所で法要を行うケースもありますが、今回は仏前と墓前のみ和尚さん(おっさん)にお願いしました。


この日は午前中にお寺で涅槃会というイベントがあったため(釈迦入滅の日の法会。二月十五日ですが、田舎ではひと月ほど遅れて執り行う傾向があるのだそうです)、蘆田家の法要は午後に。

10時過ぎくらいから親戚が次々と到着し、kajiyanoにお通ししました。

kajiyano初訪問の面々は、

「あの小屋がこんなにおしゃれになったんや!?」

と驚き顔。

一方、ちょっとおませな甥っ子は

「あ、Wi-Fi使えるやん。ネットカフェみたいやな」

と、いち早く施設の特徴をつかんでいました。


昼食は、町内の仕出屋さんによるお弁当。

お腹が満たされたところで、腹ごなしに甥っ子たちと犬見川沿いの散策に出かけました。

家の前を流れる水がどこから来ているか興味を持ったと思ったら、雪で折れた桜の枝のコレクションが始まり、犬ふぐりなどの野花を観察・・・と自由気ままな子どもたち。

「こっちは自然があるのがええなぁ。空気がちゃうわ」

と、大人びた口調の甥っ子がぽろっとこぼしました。


 

肝心の法要では、長時間にわたる丁寧なお経に子どもたちはぐったり。

一方、わたしをはじめ数人は、お墓へ移動しがてらの雑談から始まりいつしか「禅とは何か」という法話に突入。

「善と悪」「富と貧」などの対立する概念を超越したところに悟りの境地がある、といった含蓄あるお話に大いに考えさせられました。

今回はじめて知りましたが、祐泉寺では、涅槃会のほか達磨忌など定期的にお寺を開放して行事を行っているそうで

「気軽に来てもうたらええ」

とのことでした。

 

何台かの車に分かれて、隣保のお墓に移動。

お経をあげていただき、塔婆を墓石に立て掛けて法要を終えました。


その後は再びkajiyanoに集合。

一日の労をねぎらいながら、しばしのティータイムとなりました。

(わたしは、甥っ子たちとトランプ遊び)

最後は、記念撮影をして解散。

おばあちゃんの血を引く子孫たちの、特別な一日が幕を下ろしました。

 

 

以前から、この家に来ると子どもたちは蛙を探したり砂利で遊んだり思い思いに非日常を楽しんでいくのですが、今回kajiyanoという場所があることで、より一体感のある団らんが持てるようになったように思いました。

 

彼らにとっては、「おばあちゃん家」が年々リニューアルされていくという類い稀な経験をしているのかもしれません。

想像の中に息づくおばあちゃんに手を合わせ、今後も家族が仲良く健康でいられることを祈ります。


今日の一句

 

春の日の 訛り帯びたる 法話かな

はるのひの なまりおびたる ほうわかな

季語:春の日(春)

「平たく言えばやな、心が安定すれば、正しい判断ができるゆうこっちゃ」

この春いちばんの陽気に包まれながら、法話の一語一語を味わいました。


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