いのちが躍動する深緑の季節。
めざましく活動するのは人間だけではありません。
虫と暮らす。
6月11・12日に開催した蛍×ライブイベント。
おかげさまで両日とも満員御礼となり、演奏も素晴らしいものとなりました。
離れは扉を外し、回り廊下でつながる母屋も開放。
家族連れは、赤ちゃんやこどもたちが田んぼの蛙やおたまじゃくしに大はしゃぎ―
わたしたちにとっても幸福感あふれる時間でしたが、片付けも済み数日経ってから異変に気付きました。
見たこともないような、小アリの大群が家のあちこちに登場し始めたのです。
原因を見つけようと妻と探し回った結果、行きついたのはジンジャーエールの瓶ケース。
飲み終わった瓶はすべて洗っていたのですが、ケースに液体がこぼれていたようです。
瓶を抜いて丸洗いしたところ、その周辺からはアリの気配が消えました。
ところが、それ以外の群がっている場所をチェックしてみるも、目に見えて何かがある訳ではありません。
となると、床を這っていた赤ちゃんたちや色々な場所を走り回っていたこどもたち・・・?。
真相は、闇の中。
とりあえず畳や床を拭き回ったところ、だいぶ沈静化したのでほっとしています。
生と死のはざまで。
イベント当日には出没しませんでしたが、わが家には何匹かネズミがいます。
眠りにつこうとすると、屋根裏を「トコトコトコ・・・」と走る音が聞こえることがあります。
種類はおそらくハツカネズミ。
直接家具を傷めるようなことはないのですが、電線ケーブルを噛み切ることがあるほかノミやダニを連れてくるため人間にとって衛生的害があると言われています。
捕獲してくれる猫もいないので、自分で駆除するほかありません。
良いにおいのするエサの入った粘着ワナを通り道に設置すると、何日かに1匹掛かります。
生活を守るためとはいえ、もだえながらチューチューと鳴くネズミの姿は、ちょっと直視しがたいものがあります。。
いつものように、やりきれない想いを抱きながら生け捕ったネズミを焼き場に運んでいたときのこと。
湿気のせいかマッチの火が付きづらく、持っていた箱の中身をすべて使ってしまいました。
「別のを取ってくるか」
家に戻ってマッチを取りに行くほんの数分。
焼き場に戻ると、なんと・・・
ぷっくりと太ったトカゲが掛かっていたのです。
「今日の記事はもうギブアップ」という方もいるかもしれませんが、大丈夫でしたらもう少しお付き合いください。
ここに移住してからというもの、わたしはすっかり爬虫類びいき。
真っ黒な瞳で小さく動きまわるヤモリ。
鮮やかな青色のグラデーションの尻尾を持ち何かと驚きやすいトカゲ。
飼っている訳ではないのですが、だいたい大きさや色の見分けも付き、まるでペットのような存在です。
それだけに、ネズミ捕りに掛かったトカゲの姿を見たときはあまりのショックで泣きそうになりました。
強力な粘着質の罠なので、一度引っかかると救出するのは困難です。
やむを得ず、ネズミと一緒に処分しました。
死の間際、日ごろは呑気なトカゲが何度も口を大きく開けていた光景は当面忘れられそうにありません。
ただ、冷静に考えると・・・
トカゲはかわいがり、蚊やネズミは駆除。
この線引きは何なのだろうと考えると、人間の都合でしかありません。
「生きるために食う」という食物連鎖の一部であればまだしも、快適な生活環境を守るために他者をこれほどまでに殺める生き物は人間のほかに存在するのか。
そんなことを自問します。
いのちの躍動する環境にいるからこそ感じる、死の鮮烈さ。
「善い暮らし」とは何か。
答えはなかなか見えてきません。
今日の一句
動かざる吾に安堵の 蜥蜴かな
うごかざるわれにあんどの とかげかな
季語:蜥蜴(夏)
出会いがしら、こちらがぴくりとでも動くと慌てて外壁のすきまに逃げ込むトカゲ。
その習性を知っているので、見つけたときは動きを止めて観察します。
敵意が無いと判断するのか、靴の先まで近寄ってくることもしばしばです。