オンもオフも、人との出会いは思いがけないところに。
流れ流れて、どこかへ漂着していく生き方もあります。
流れ者の物語
自分たちの田んぼの稲刈りを明日に控えています。
稲刈りは天候との戦い。
1日でも雨天となれば、地面が乾くのを待ってからの作業となります。
雨天翌日以降の天候や気温、一枚一枚の田んぼのクセや乾き具合などもチェックしながら、ベストなローテーションが組まれていきます。
そんな訳で、9月中旬以降はスケジュールを立てるのが非常に難しいのです。
ただ稲刈りが前倒しになることは基本的に無いため、稲刈り日の直前はわりあい安全です。
今年の我が家の稲刈り予定は26日(火)。
前日に四隅を手刈りすることも計算に入れ、kajiyanoが休みの日曜に浜坂温泉へ小旅行に出かけました。
知らないまちを訪れる際は、現地の人に案内してもらうのが面白いと最近特に思います。
朝食付きの宿だけおさえておいて、あとは風まかせ。
宿の女将さんや現地で出会う人に直接聞いていくと、思いがけない気づきや発見があるのも旅の醍醐味だと思います。
それにしても、同じ兵庫でも広いもの。
「どこから来たったん?」
「神河町って分かります?」
「カミカワ?」
「ほらあの、ススキなんかがあって・・・」
「はぁ・・・」
「旧大河内町です」
「あぁ、あのあたりね」
こんなやりとりが、滞在中、何度もありました。
”五国兵庫”と呼ばれ、地域ごとの特色が豊かな兵庫県。
裏返せば、地域ごとの個性が非常に強いということ。
それだけ、横のつながりが生まれにくいのかもしれません。
関連して。
先日、知人の結婚式にて多可町の地域活性PJに携わっているユニークな方と出会いました。
居住地は別で、仕事は自営業。
もともと地縁があるわけでもありません。
なんと「地域を元気にしてくれる若者求む!」的な看板を見かけたことをきっかけに(!)、その後継続的にプロジェクトに参画しているのだとか。
今ではメディアの多可町取材でその方が取り上げられることも少なくないそうです。
話していると、共通する関心ごとがあれこれ。
中でも「そうそう!」と盛り上がったのが、行政区分による文化的・情報的交流の断絶。
つまり、
「近い(隣)なのに、お互い情報がなかなか入ってこないよね〜」問題。
たとえば、朝来市、多可町、神河町は隣接している自治体ですが、神戸新聞の地域欄はそれぞれ異なります。
朝来は但馬、多可は東播磨、神河は西播磨。
たしかに出会う人から文化圏の違いを感じる時もありますが、物理的には人や情報が行き来することはじゅうぶん可能な距離。
「とりあえずkajiyanoさんに近々寄らせてもらいますよ」
いま楽しみにしていることのひとつです。
浜坂に戻ります。
朝の山陰海岸。
台風の影響もあるのか、砂浜で流木群を発見。
「おお!良い形のものがあれば飾ってみようか」
黙々と、流木拾いが始まりました。
すると、同じように流木を漁る(失礼)白髪頭の男性がひとり。
「そちらも流木拾いですか?」
挨拶もそこそこ、ちょっと不審な質問をするわたし。
「いえ、たまたま通りがかったんですが、コレ、畑のベンチに良いなぁと思って」
「あぁ、立派なものですね。ちょっと重そうですが・・・良かったら車までいっしょに運びましょうか?」
「え!良いんですか?」
月曜の真っ昼間。
巨大な流木を運ぶ、年の差倍ほどの二人。
いったい周りからどう映っていたのでしょうか・・・
お話を伺うと、現在のお住まいは丹波。
退職を機に東京から移住したそうで、今は農業を営んでいるとのことでした。
「おたがい、流れ者ですね」
「そうですねぇ」
帰り際。
「お礼と言っては何ですが・・・」
差し出されたのは、道の駅で購入したという袋詰めのジャガイモ。
「今年、ジャガイモだけは大量にある」
など口が裂けても言えず、深々と感謝申し上げました。
帰路、神河町の見慣れた景色にほっとひと息。
自宅に到着するやいなや、農作業着に着替えて田んぼの四隅刈りを行いました。
大川原の稲刈りは、まさに”風の人”と”地の人”の共同作業。
明日に向けて、心身とも準備は万端です!
今日の一句
流木を 抱きて歩む 秋の浦
りゅうぼくを いだきてあゆむ あきのうら
季語:秋の浦(秋)
長い年月をかけて海洋を渡り、波に洗われてきた流木群。
ひとつとして同じものはなく、それぞれにストーリーがあるのだと思います。