「地に足をつけて暮らす」
・・・だけでOK?
旅するように生きるには?
毎月第2土曜にコワーキングスペースkajiyanoで開催中のトークライブ「くらしとしごと」。
第12回のテーマは、「世界を旅して、Uターン」。
ゲストは、神河町福本在住の会社員・林田直樹さんでした。
林田さんとのご縁は、「畑」。
農園を借りていただいている子育て自主サークル「つちのこ」のパパさんとして、ときどき顔を合わせるようになりました。
ほかのパパさんもですが、消防団の操法大会でも毎年遭遇します。
「結婚前は放浪の旅をしていたらしい」
「奥さんとは石巻の震災ボランティアで出会った」
断片的にしか経緯を知らないままイベント出演を打診したのですが、その人生の振れ幅は予想以上。
外資系企業に就職し、横浜で何不自由ない生活を送っていたなか突如退職。
「自分の中に何かが足りない。自分の思うことを思うようにやってみたい」と「95点」の生活を捨てて30歳で海外放浪の旅へ!
スマホもなく、インターネット環境も今ほど整っていない時代。
はじめの2、3カ国についてはおよその下調べをして、あとは現地で情報を仕入れて気の向くまま。
中国とロシアの国境で危ない目に遭ったり、原住民の祭りに参加したり、当時の紛争地域を訪れたり・・・
今健在なのが幸運だとしか思えないエピソードが次々飛び出しました。
ここには載せられない、いろんな衝撃写真も。。
「自分の目で見ることが大事」という言葉に、ずしりと重みがありました。
「長男だから、いつか実家に帰らなければ」という気持ちもありつつ、1年ほどのつもりが、気づけば3年。
訪れた国はなんと80ヶ国!
そんな中、手元の資金も底が見えてきたマレーシア滞在時に転機が訪れます。
2011年の東日本大震災。
手持ち資金で半年ほど旅を続けることはできましたが、「このお金でボランティアに行こう!」と帰国することに。
石巻のNPO法人のもとで本格的なボランティア活動に従事。
初期の民家床下のヘドロの除去などからボランティア活動も少しずつフェーズが変わっていったそうです。
2012年、満を辞して(?)神河町にUターン。
少し時間差で、ボランティア時代に出会った奥さんと結婚。
現在は2児の父。
大の祭り好きで、祭りのために村や学校の役まわりをしているといっても過言ではないそうです(笑)
視野を広げると、見える世界が変わる。
「旅に出る前の暮らしは95点、今の生活は何点ですか?」
そう尋ねると、うーんと考えながら、「妻も子どももいるし、、今の生活は、まぁ100点ですかね」
「ひゃ、ひゃくてん!?」
思わず、千鳥のノブさんのようなリアクションを取ってしまうわたし。
「同じ質問を受けたとき、自分はどう答えるだろう・・・?」
ときおり考えています。
突然話題が飛びますが、わたしが今回色濃く頭に思い浮かべたのは、松尾芭蕉。
晩年まで芭蕉は旅に生き、旅の中で句を詠みました。
それは、漂流する者だけが持ち得る感性あるいは霊性のようなものがあると気づいていたからではないか。
人類学者・中沢新一さんと俳人・小澤實さんの対談本で語られていたテーマのひとつです。
↓俳句愛好家ならずとも、オススメの一冊。
俳句の海に潜る
メディアミックス情報 「俳句は海民族的なもの」「和歌は人を詠み俳句は物を詠む」という断定など中沢新一の言ってること全てに納得したわけではないが、俳句とは現実から離脱して自然や別の精神の層へ降りて繋がる作業だというのはとても …
多島海の”漂泊”時代を経て、橋が架かり海に触れなくなってから日本人が変質した・・・といった独自の論に発展するのですが、それはさておき。
「同じ場所に定着すると、見えなくなるものがある」
「旅人だけに見えるものがある」
というのは事実だと思います。
言い訳でもありますが(言い訳でしかない?)、移住1年目よりも移住7年目の今のほうが、身のまわりで句を作るのが明らかに難しくなってきています。
「世界でいま何が起こっているか」を意識しながら、自分の暮らしを俯瞰する。
地に足をつけながら、旅するように、生きる。
難しいけれど、意識する価値は大いにありそうな気がします。
今日の一句
太陽の姿さやかに朝霞
たいようの すがたさやかに あさがすみ
季語:霞(春)
県道の先がまるで異世界に通じているように、一面霞に包まれた朝。
非日常のひとときにも、上空には、燃えるような太陽がたしかにそこにありました。