「すごい田舎で暮らしてますね」と言われますが、当然、上には上がいます。
長野の売木村(うるぎむら)で地域おこし協力隊をされている方曰く、今年は「12月時点で外気マイナス15℃」。
少々のことで「寒い」なんて言っちゃいかんなと思う今日この頃です。
案外順応してくれる身体
12月生まれの私ですが、寒さは大の苦手です。
しかも皮膚が弱いため、この季節になると両手とも気づけば「皸(あかぎれ)」だらけ。
何も言わなければ「台所仕事を頑張っている、奥さん想いの人」と思ってもらえること請け合いです。
「古民家に住む」ことを考えたとき、心配ごとのひとつだったのは、毎年訪れるこの肉体的・精神的拷問との戦いでした。
ところが、人間、案外環境に適応できるものです。
今では、朝いちばんに気温計を見て3℃ぐらいあれば「ラッキー!」と思えるほどになりました。
「寒さ」を越えて
村の方に聞くと、昔は豆炭を入れた小さな置きごたつで暖をとっていたといいます。
しかし、エアコンやストーブと違い部屋の空気まではなかなか暖まらないので、袢纏(はんてん)などを着込んでも、きっと家族みんな背中が冷たかったことでしょう。
田舎から都会へ人が流れたことには勿論色んな要因が重なっているはずですが、中でも「寒さ」は動物としての危険信号。
日本の民家から人を遠ざける決定打になってしまったのかもしれません。
けれど、冬の寒さが厳しく長いからこそ、「春の訪れ」は神話の起こりのような感動を伴い、競うように生命の象徴ともいえる「若菜」を積んだといいます。
そんなことに想いをはせると、やはりこの季節にもいくばくかの意味があると思えるのです。
今日の一句
ほつほつと 雪化粧して 山ほのか
ほつほつと ゆきげしょうして やまほのか
季語:雪(冬)
山の木々に、雪が降り積もるさまをどう表現するか。
悩んだ末に「ほつほつ」と頭に浮かんだ瞬間、「これは一か八かの造語パターンやな」と妙なギアが入りました。
ところが念のため辞書で調べてみると、「少しずつ、ゆっくりと」という意味の、れっきとした副詞。
はるか昔の日本を生きた人々と同じ「オノマトペ」が頭に浮かぶなんて、考えようによっては素敵ではありませんか。(自己弁護)