一昨年の冬に、町へ寄贈した人力車。
修復を経て、「かみかわ銀の馬車道まつり」でお目見えしました。
「銀の馬車道」の仲間入り
2015年の11月に、町へ寄贈した蘆田家の人力車。
「神河町の資産として、しかるべき活用をするように」
町長の指令により関係各所が動員され、保管場所や公開方法の検討が重ねられた結果、銀の馬車道界隈に所蔵されることになりました。
窓口は、神河町商工会。
現在では入手困難な車輪の素材や漆の手配などさまざまな問題をクリアしながら、1年以上かけて修繕作業にあたってくださったと聞いています。
そして3月18日、ついにお披露目のときを迎えました。
舞台は、「かみかわ銀の馬車道まつり」。
日本遺産登録を目指している銀の馬車道沿いにある施設を使用して開催されました。
町内4カ所のピアノ教室が参加するピアノ発表会、町内外のプロアマが集うライブ、参加型の「聖者の行進」演奏コーナーといったコンテンツのほか、沿道では町内外の特産品や軽食、スイーツなど23店舗などが出店。
その中で、人力車は旧竹内邸の前に飾られ、乗車体験も行われました。(担ぎ手の俥夫も登場!)
わたしは途中から参加したので見逃してしまったのですが、これをバックにしてイベント冒頭の町長のあいさつが行われ、人力車のいきさつも紹介してくださったそうです。
イベント終了後、町長がkajiyanoに立ち寄ってくださいました。
話題は、やはり人力車。
町のPRにつながったという謝意の表明とあわせて、寄贈の経緯を振り返りながら町長がこぼした一言。
「あの(寄贈の)一件は、最近の人やなぁと思ったわ」
どういうことかというと・・・。
合併して10年が経つ今でも「旧大河内」「旧神崎」のライバル意識は根強く、反対側のエリアに家宝を寄贈することなど考えられないという人も少なくないのだそうです。
確かに、当初はあまりピンときませんでしたが、いろんな経験をする中で両者の違いや見えない壁の存在感じるのも事実です。
ただ、わたしたち夫婦にとっては移住して以来、ここは「神河町」。
(逆に、長谷地区あるいは大川原集落という意識は強まりつつありますが・・・)
今後移住してこられる人にとっても「神河町」です。
確固たる歴史の上に存在しつつも、多様な世代が一緒になって自治体の未来を作っていく。
わたしたちは、そんなダイナミズムのなかに居るのかもしれません。
日本遺産の発表は、4月中ごろの予定。
蘆田家の人力車が、この盛り上がりに一役買ってくれています。
今日の一句
街道に 映ゆる甍や 春日向
かいどうに はゆるいらかや はるひなた
季語:春日・春日向(春)
かつては都市部と生野を結んだ高速道路。
歴史を感じさせる立派な家々の屋根瓦が、春の陽射しに照らされていました。