風土がことばを作り、文化を作る?
瀬戸大橋を越え、伊豫松山の空気を浴びてきました。
松山の今昔
愛媛県松山。
いつか訪れたいと思っていた地でした。
地域ブランディング×ビジネスの最前線
愛媛県といえば・・・
今治タオル。
道後温泉。
みかん栽培。
それら地域のコンテンツをブランディングし、今治タオルの専門店「伊織」の全国展開、道後温泉エリアのホテル経営、柑橘類を使ったバーや飲食店などを展開しているエイトワンという会社があります。
同社のリーダー大藪崇さんは、1979年生まれの30代。
疲弊する地方都市の革命児と注目されています。
ちなみに元ニートで元投資家。愛媛出身でなく広島出身。本当に不思議な方です。
「地域の資源を生かし、地域に仕事を作る」
行政の資料でおなじみの理想論を、結果的に地でいくような経営スタイル。
素直に興味がありました。
↓WEBで読める大藪さんの連載
同社が運営するホテル『道後やや』。に宿泊してみました。
お世辞にも立地が良いとはいえないのですが、到着すると「道がわかりにくくて申し訳ありません。何卒・・・」的な先制フォロー。
鯛めしおにぎりや豚汁など、時間帯で替わるおもてなしコーナー。
今治タオル試し放題のタオルバー。
みかんブランドの飲み比べができる蛇口。.etc
すっかりファンになってしまいました。
伊織のアンテナショップも、洗練とあたたかみが同居する素晴らしいものでした。
参考記事:道後温泉本館「霊の湯」3F個室でお風呂に入る流れと坊っちゃん団子を食べた話
文人・俳人ゆかりの地・松山
もう一つの、というよりメインの目的がありました。
松山といえば・・・
そう、「俳句」です。
「ホトトギス」創刊者である柳原極堂、「俳句」を提唱した正岡子規、その子弟高浜虚子・・・
今さら改めてわたしが語ることはありませんが、同市は「俳都」を名乗り、俳句ポストの設置や俳句甲子園の開催など、俳句による町おこしがさかんに行われています。
「あの、俳句関係の場所を巡りたいんですけど・・・」
「やや」のフロントで相談。
スタッフさんが親切にも観光協会に連絡して取りついでくださいました。
道後ハイカラ通りを抜けて、観光協会へ。
「あ、お電話の方ですか?実はね、絶版になっているパンフレットが奥にあるんよ」
「もしかして?」
「特別にあげます」
「・・・ありがとうございます!!」
パンフレット片手に、紹介されていた句碑をいくつか見物。
「ん?これはどういうニュアンス?」
気になる記載がありました。
”では、なぜ松山に俳句が根付いたのでしょうか?まずは、穏やかな風土が風雅あふれる人の心を育てたこと。もうひとつは、一音節の言葉が長音になる伊予弁に負うところが大きいのです。「しとーみー」「そーよねー」と、話し言葉が五音や七音になります。俳句のリズムが、幼い頃から身についているからではないでしょうか。”(「俳都松山の句碑巡り」松山経済研究会より引用)
ふたたび観光協会を訪ねました。
「パンフレットにこう書いてあるんですけど、シトーミーって、どう発音するんですか?」
「えっと・・・あ、〇〇さんに聞いてみたら?〇〇さ〜ん」
どう見ても詳しそうな、ベテラン観光ボランティアガイドのおかあさんが登場。
「シトーミーゆうか、シト〜ンミやね」
「シトー〜ミ?」
「いや、ちょっと違う。シト〜ンミ」
そんな話から始まり、秋山兄弟の生まれた家の格式と教育方針、日本で総理大臣を輩出していない唯一の都道府県が愛媛、など興味深い話が次々と。
「こんな若い人が喜んでくれるんは珍しいわ〜。またキーネ」
「あ、はい!」
「それで言うと、『せやろがい』『なんやねん』も5音やなぁ」
「播磨の風土、か・・・」
俳人としてのアイデンティティを探すひとときでした。
坂の上の雲ミュージアムを経て、漱石と子規が共に過ごした「愚陀仏庵(ぐだぶつあん)」跡へ。(残念ながら子規記念館は休館でした)
二人のエピソードを思い浮かべながらマップ片手に向かい・・・発見。
りっぱな駐車場になっていました。
子規の生涯は、34年と11か月。
まもなく34歳になる自分の人生はいかほどの密度かと考えさせられもした旅でした。
今日の一句
冬ぬくし子規の口より伊豫ことば
ふゆぬくし しきのくちより いよことば
季語:冬ぬくし(冬)
多くの文人を輩出した松山のおおらかな風土。
子規はこの地で、どんな話し方で、何を語っていたことでしょう。