明けましておめでとうございます。
本年も、『原点諧記』を宜しくお願い申し上げます。
ほのぼのとした年迎えと初詣
私たちが暮らす大川原地区の迎春と初詣は、氏神さまである大歳(おおとし)神社にて行われます。
12月31日の22時頃から斎灯がともされて杉をくべて「お焚き上げ」がはじまり、そこから年明けの瞬間に向けて、少しずつ村人が集まってきます。
もちろん、ビールや熱燗、お茶とおつまみ完備。
『NHK紅白歌合戦』を観終えて、0時前に来る人が多いそうです。
雪の中、火を囲みながらあれやこれやと談笑していて、ふと時計を見やると23時58分。
わたしが「あと2分ですねぇ」と言うと、「あぁ、ほんまやのう」と時刻の話になり、「そろそろかい」「まだやのう」「おぉ、明けたのう」という実に淡々とした年迎え。
カウントダウンの準備をしていた自分が少し恥ずかしくなりながら、火を囲んで「本年もよろしくお願いします」と新年の挨拶を交わし合いました。
新しい年を迎えるということ
キリスト教的世界観の中では、過去から未来という時間軸は一方向に伸びていく矢のようなイメージだそうです。
かたや日本のそれは、一年ごとに生まれ変わる生き物のような捉え方。
一年ごとにサイクルを繰り返す農耕文化が基盤にあるからでしょうか。
そう思って見つめ直すと、天に向かいつつ末広がりの『鏡餅』や、新しい年に生まれる歳神様のよりしろになる『門松』など、「はじまり」を象徴する正月にまつわる行事や造形は、ひとつひとつがシンボリックに見えてきます。
今日の一句
呼ぶ声や 二つの膳の 節料理
よぶこえや ふたつのぜんの せちりょうり
季語:節料理(新年)
私たちが暮らす旧芦田邸は、敷地にして約430坪。
かつては、この広い敷地内で、注連飾りや年末の大掃除など家族総出で準備に走り回り、お重に盛ったおせちを賑やかに食べていたことを想像します。
今は、妻とたった二人。
決して大きくない御膳に盛られたおせち料理を前に、新しい年を迎えることができた嬉しさと自分に託された使命を感じます。