(※6/21加筆修正)
四年に一度、100句1組で競う若手俳人の登竜門へ。
井の中の蛙、大海を知りました。
「第五回芝不器男俳句新人賞」への挑戦。
”俳壇”と”俳人”
俳句に親しみのない方にとっては、「俳壇」という言葉は奇異に映るかもしれません。
また、広義の「俳句を詠む人」を「俳人」と呼ぶことも然り。
ほかの多くの業界(?)と同じく、俳壇の中心は関東、東京です。
近年では結社を嫌いネット上での発表を重視する若手も増加傾向。
それでも、実力と知名度を兼ね備えた先生方による俳壇での評価は俳人のキャリアにとって一定の影響力があるのは事実です。
いまやNHK俳句の選者も務めておられる”俳句界のプリンス”高柳克弘さんは『鷹』という結社に所属し、次期主宰として現在編集長を務めておられます。
2014年夏。
「貴士さん、俳句の研究してたのならきっと作れるわよ」
先に挙げた高柳さんと同じ研究室で机を囲んでいた(!)にも関わらず作句とは無縁だった当時のわたし。
村のお姉様から句会に誘っていただいたことで、「俳人」への道に足を踏み入れたのでした。
先輩方のご指導をいただきながら、細々と句を作り続けること約4年。
主にこのブログと所属結社の会報誌(俳誌といいます)で作品を発表してきました。
特に結社においては若手というだけで重宝がられ、ありがたいことにお姉様がたからのラブコールや激励のお手紙をいただくことも。
一方で、特に都市部の若い俳人達と出会う機会はなかなかありません。
「俳壇はどこへ向かっているのか」
「若手の俳人はどんなことを考えているのか」
関心は強まる一方。
「俳壇における客観的評価を得たい」
全国から俳人を発掘する目的で開催されているコンクールに応募することを考えるようになりました。
4年間の集大成
俳句の登竜門。
筆頭に挙げられるのは、俳壇の芥川賞とも呼ばれる角川俳句賞。
1955年から続く”俳句のカドカワ”主催のコンテストです。
年齢は不問、「未発表作品」50句1組が条件。
わたしの場合は、ブログにも結社にも発表せず一定水準以上の句を作り溜めることは至難と判断し、早々に諦めました。
一方、近年若い俳人の目標のひとつとなっているのが『芝不器男俳句新人賞』。
四年に一度の開催。
年齢は「40歳まで」。
100句1組。
そして既発表句OK。
”冨田拓也・杉山久子・御中虫・曽根毅といった本賞受賞者のみならず、関悦史・神野紗希・佐藤文香・九堂夜想・岡田一実・堀田季何・西村麒麟ら、これまでの奨励賞受賞者の活躍によって、俳壇の登竜門となった感がある芝不器男俳句新人賞だが、百句競作という難関に、ぜひチャレンジしてもらいたい。”(選考委員・城戸朱理さんのブログ記事より引用)
第五回の開催は2018年。
「これだ!」
照準を合わせて作品をストックしていくことに決めました。
多いようで少ないようで、やっぱり多い「100句」。
駄句は数あれど、まず自分の中で納得できる水準の作品がどれだけあるかが問題です。
結果的に書き下ろし(詠みおろし?)作品も5句ほど加え、期限ギリギリまで推敲を重ねて提出。
3月末に発表された一次選考通過作品のリストには・・・わたしの受付番号「84番」がありました!
最終選考の結果は・・・
最終選考は東京都荒川区の会場にて。
残念ながら受賞作品の中に「84番」、そしてわたしの名前はありませんでした。
”本賞の最終選考会を平成30年4月14日 (土)、ゆいの森あらかわ ゆいの森ホールにて開催しました(写真別紙)。 愛媛県松野町出身の俳人・芝不器男の名を冠するこの賞は、4年に一度、新鮮な感覚を備え、大きな将来性を有する若い俳人に贈られます。この賞が誘因となって、今世紀の俳句をリードする新たな感性が登場することを支援することを目的としています。 第5回目となる今回は、140作品の応募があり、氏名等応募者の属性を秘匿のまま 応募作品(100句/一応募)の討議選考を行いました。
最終選考会では、一般公開のもと、一次選考通過34作品の中から、新人賞1名、奨励賞5名、そして全応募作品の 中から、特別賞1名を決定しました。
<中略>
第5回芝不器男俳句新人賞 生駒大祐(58番)
第5回芝不器男俳句新人賞 選考委員奨励賞
城戸朱理奨励賞 表健太郎(38番)
齋藤愼爾奨励賞 菅原慎矢(1番)
対馬康子奨励賞 堀下翔(105番)
中村和弘奨励賞 松本てふこ(13番)
西村我尼吾奨励賞 佐々木貴子(45番)
第5回芝不器男俳句新人賞特別賞 田中惣一郎(71番)
”(4/26付プレスリリースより引用、一部改変)
新人賞を受賞された生駒大祐さんの作品の完成度の高さにはまったくの脱帽。
応募者へのあたたかい心配りが感じられるプレスリリースを読み返していて、不意に涙が出ました。
新しい俳句とは?白熱の議論
後日、選考過程が公表されました。
作者秘匿のまま、担当作品(推薦作品?)についての寸評からスタート。
徐々に議論が活発化し、作品が絞り込まれていきます。
「新たな前衛とはどういう風にあるべきか、という事を考えてほしい」
「うますぎるというか、従来の俳句的というか、枠から大きく外れていない」
「俳句は思想が詠めるものであり、社会性こそ現代俳句の出発点」
「この作品は既存の五・七・五、有季定型に対して、新しい定型を提示している」
「どの句を詠んでも作品の中に作者自身がいる。俳句という定型や季語というものを肉体化していると言っても過言ではない」
評価がまっ二つに分かれる作品もあり、最後の最後まで議論の熱は冷めず。
賞創設以来初めて、採決にて新人賞が決定しています。
山口貴士の作品への評価
議論の中心には(まったく)なっていませんが、冒頭でわたしの作品を取り上げてくださったのは現代俳句協会会長の中村和弘氏。
”<作品受付番号84番>
この作品は即物性を感じました。即物的に把握するということ。「乾いた抒情性」という言い方をしますけれども、俳諧にもそこに通ずるものがあると思います。例えば、No.2、No.5の句。
No.2「白壁を這う夏服の電気技師」
No.5「沈黙の一座見廻す扇風機」
「扇風機が見廻す」という主客逆転させています。扇風機の方が動きがあって人を見ているという面白さがよく出ていると思いました。
<作品受付番号107番>
1句とても気に入ったものがあります。この1句でこの作品を選ばせて頂きました。今回の応募作品の評価は非常に難しいです。例えば、100句が平均的に良い作品もあれば、100句の中で2~3句非常に良い句がある作品もあり、頭を悩ませます。仮に全14,000句の中から30句のみ選べと言われたら、この場で批評されている予選通過者の作品は選ばれていない可能性もあります。
いずれにせよ、私が気に入ったのはNo.79の句です。
No.79「人里へ便りをはこぶ春の鳥」
季節の便り。この面白い感覚を伸ばしてほしいと思います。”(最終選考会議事録より引用)
「作品受付番号107番」とありますが、番号付きで拙句を紹介いただいているので資料の番号ズレではないかと思われます。
意外な角度からエールをいただき、励みになりました。
今回の経験で、俳壇における自分のポジションと距離、そして次のレベルへ向かうための課題が浮かび上がってきました。
まずは、身の回りのものごとをしっかり感じ取ること。
そして、もっと自由に、のびやかに表現すること。
焦らずゆっくり日々を歩み、これからも句を作っていけたらと思います。
今日の一句
葉桜を 見馴らふころと なりにけり
はざくらを みならふころと なりにけり
季語:葉桜(夏)
大会公式サイトで受賞結果が発表された日は、シンボルツリーの山桜がちょうど葉桜になりかける頃。
少し気持ちも落ち着き、日常を過ごしています。