緑風やハンカチーフに和の刺繍

どうしてか、俳句という文芸がわたしの生活の一部になっています。

雑感をつらつらと。


俳句と日常

 

「人がなぜ詩を詠むかと考えると、必ずやってくる死というものがあるからじゃないかなと思うんですね」

いつだったか、俳人の池田澄子さんと谷川俊太郎さんの対談において、このような意味合いのやり取りがなされていました。

「死があるから詩を詠む」

とまで極まる感覚は自分の中にありませんが、「孤独」あるいは「不足」「無」といったものと表裏一体の産物であろうとは思います。

鼻歌を歌うように句が生まれる天才肌の俳人も存在するのかもしれませんが、わたしの場合は一時的であれ自分の中がからっぽになるような時間をある程度作らなければ、とてもではないですが句作はままなりません。


「山里の暮らしは、俳句の素材だらけだ!」

そんな静かな興奮は今も胸の中にありますが、日常に追われていると、悲しいことに山や川や生き物がただの「風景」に見えてしまうことも少なくありません。

それだけに、日々のエッセイおよび関連する俳句を創作するこのブログの存在は、猫の首輪のような、あるいは孫悟空の頭の輪とも言える存在。

俳句が詠めているか。

また納得のいく俳句が詠めているか。

それが自分の状態を知る一種のバロメーターのようになっています。

 

「初心忘るることなかれ」

自らつけたブログのタイトルに、戒められる思いで日々を過ごしています。


今日の一句

 

緑風やハンカチーフに和の刺繍

りょくふうや ハンカチーフにわのししゅう季語:緑風(夏)

緑まぶしい季節の、信号待ち。

女性の手にあるハンカチは、光も風も通すようです。

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