山焼くや彼方の海を標とし


移住10年後の心境

「田舎暮らしに飛び込んだ新鮮な驚きを記録していきたい」と当ブログのコンセプトページに綴ったのは2014年。

早いもので10年が経ち、現在に至っています。

身も蓋もない話ですが、”新鮮な驚き”は、未体験だからこそ生まれるコントラストであって、1年のサイクルを重ねていくごとに、それはだんだんと日常になっていきます。

考えてみれば当然のことです。

「それでも、日本、特に自然が近い山間部は四季の変化に富んでいて、飽きることがない」

これも真実だけど、同じく耐性がついてくるというのか、繊細なセンサーを大事に保とうとは思っているほうだと思いますが、悲しいかな、同じ場所で同じものを見るほどに、どうしても感動は減じていきます。


ブログのコンセプトを見直す。

では、すべて「日常」になって、自分が村人Aになれるのか。

と考えると、やっぱりそうでもない。そうなれないというほうが正しいですね。

ここに来てからいろんな経験をしてきたけど、すべて貴重な学びで、他に置き換えが効かない経験ができたことは紛れもない自分の財産。そして、仕事にも幅や奥行きをもたらしてくれたように思います。

(優等生的に聞こえるかもしれないけど、墓場まで持っていく秘密も複数あるし、許しがたいことだってあるけど、それでもやはりそう思う)

あの頃のように、無邪気には書けない。

だけど、このまま書かないと自分が居場所のひとつを失う気持ちにもなるし、それは無性に淋しい。

これまで自分は、書くことで口頭では伝えきれない想いを整理して表現してきました。

そして、それが紡いでくれたご縁もたくさんありました。

「自分のことばで、書きたい」

手段が目的になっていると言われるかもしれないけど、どうすればコンスタントに更新し、「書く喜び」を味わいながら深く広いつながりを生んでいけるのか。新たな方向性を模索しています。


どんな形なら続けられる?(続けたい?)

俳句をつくる、ということは今も自分のライフワークです。

ですが、超結社句会や全国的な結社に参加し、上には上がいるどころか、句作においては太刀打ちできないような気持ちになることも少なくはなく自信を無くしてばかりです。

一方で、俳句を鑑賞するということについては、劣等感のようなものはなく、ただただ時間を忘れて没頭できる幸福な時間でもあります。(どのコミュニティにおいてもそうだけど)”〇〇だけど〇〇”な自分の境遇や経験を呼び起こし、越境的なにさまざまなジャンルの引き出しを一気にあけて書く作業は、新しい曲を作るような実感と喜びがあります。

自句自解は御法度と言われるけど、「そんなことを言ってるから俳句人口が増えないんじゃない?」という指摘に対して、僕は今のところ返すことばがありません。

勝手に人の句を鑑賞しても、既発表句であれば、(そして支離滅裂だったり不当に句の価値を貶める内容でなければ)許されるのではないかと思います。


俳句。その背景の解説、あるいは考察と鑑賞。

結果的にその中で、自分が関心のある地域のテーマや仕事のトピックにも触れることが出てくるのではないかと思っています。

書くことでまた、たくさんのご縁をつないでいけたら嬉しいです。


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山焼くや彼方の海を標とし

やまやくやかなたのうみをしるべとし

一面のススキが広がる砥峰高原。

近年は大河ドラマのロケ地になったり、コスプレイヤーの隠れ人気スポットになったりと、外と内をつなぐスポットにもなっている。

行事の主体は村。

今や一大行事なので行政がバックアップし、延焼や事故に備えて消防団員が配備につきます。

当地は、但馬地方と姫路方面を南北に見渡す高原地帯。

「川上(地元集落)側、聴こえますか」
「日本海側の給水ポイントへ進んでください」

飛び交う無線においては、壮大な合図が交わされる。慣れてはしまったけど、よくよく考えれば、ちょっとロマンチックかもしれない。

目の前には、風にゆらめきながら広がる炎。無線で飛び交う会話を肩越しに聴きながら、自分今たしかにこの山にいて、遠くに海があり、空がつながっていることを確かに感じる。

「僕は自分の意志でこの地を選び、この地で生きている」

なんて言うと大げさだけど、子どもたちがいつも注目してくれているようだし、適度にカッコつけながら、楽しそうに暮らしていけたらと思います。

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