早暁や地の鶯を聴き分ける


今年度の句会が終了しました。

俳句を作ることの意味を自問自答しつつ、日々は続きます。


俳句=趣味?

「俳句をされるなんて、良い趣味ですね」

と言われることがありますが、「趣味ではありません」と心の中で即答しています。

では俳句が仕事かと聞かれれば、決して「YES」ではありません。

じゃあ、なぜ俳句をやるのか・・・

考えだすと、これがなかなか難しいのです。


俳句づくりがもたらすもの

大学院で江戸俳諧を研究していたころは作る側に回るなんて想像もできませんでしたが、今ではすっかり句作が生活の一部です。

そのことにより、どんな変化が生まれているか。

まず思い浮かぶのは、月並みですが

「季節のうつろいに敏感になる」ことにより暮らしが豊かになるということ。

そしてもうひとつは、日本語に対して敏感になり、話すことばや書き言葉が変わってくることです。

といっても、いわゆる”正しい日本語”論などではなく

「どうしたらこの心情を短い言葉で表現できるだろうか」

「どちらの言葉を選んだほうが余韻が生じるだろうか」

といった言葉えらびの視点といえるかもしれません。


言葉をそぎ落とす

記事数160本を越えたこのブログですが、実は古い記事もこっそり修正し続けていることに気づいている人はまずいないでしょう。

(ときどき句自体も。ご興味のある奇特な方は、またお時間のあるときに過去記事カレンダーよりご覧ください)

初期の記事を読み返して思うのは、

「余計なことばが多い」。

それに尽きます。

できごとやアピールしたいことを書き漏らすまいとして、単語を詰め込みすぎるのです。


句づくりの基本は、関西弁風にいうと「みなまで言うな」

説明しきらずに、説明するよりも多くの情報を感じ取ってもらう。

すべての場面で正しいアプローチではありませんが、俳句的な態度といえるかもしれません。


謙虚な気持ちを忘れずに。

移り住んできた当初に比べれば、役割や肩書きを与えてもらうことも増えてきました。

出向く場所も広がり、いろいろな立場の方と出会います。

ほんとうに人はさまざまです。

そんな中、四季への感動生きていく上での悲喜こもごもを句会で共有している時間は、心が洗われる感じがするのです。

俳句に限らず芸術を愛する人びとは、どこか運命(あるいは人生)に謙虚であると感じる今日このごろです。


今日の一句

早暁や 地の鶯を 聴き分ける

そうぎょうや じのうぐいすを ききわける

季語:鶯(春)

春になると、明け方に「ホ~、ホケキョケ!」と風変わりなウグイスの声がきこえてきます。

その鳴き声が親から子へと伝えられてきた年月を思えば、わたしたち夫婦の歩みはまだまだ序の口です。


兵庫県姫路市生まれ。早稲田大学大学院 教育学研究科 修了。専門は江戸の初期俳諧。 総合広告会社(博報堂DYホールディングス)を経て、2014年兵庫県神河町に移住。2015年起業。2020年より株式会社OFFICE KAJIYANO 代表取締役 俳句結社「姫路青門」所属

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です