夕焼の中に小さき生家かな

記念すべき(?)300本目の記事です。

kajiyanoのまた新たな一歩。


kajiyanoの位置づけを再考する

 

12月にオープンしてから半年以上。

ようやくkajiyanoの公式サイトがオープンしました。

(若干の変更を加えていく予定ですのでその意味ではβ版です)

妻の本領発揮のinstagramアカウントが順調に育っていることもあり、サイトはそれほど凝ったものにするつもりはありませんでした。

にもかかわらず、これだけ時間が掛かってしまったのはなぜか。

技術的な問題ではなく、kajiyanoという場所の定義をどの段階で形にするか見計らって(迷って)いたからです。


振り返ると、兵庫県内外いろいろなところから人が訪れてくださっています。

仕事、あるいはプライベート。

知人、あるいは初見の方。

民間、あるいは自治体。

さまざまな人とさまざまな形で出会うたびに考えが整理されて行き、自分たちの立ち位置が少しずつ相対化されてくるように感じます。

決め手は、先日の東京視察。

最新の動向に刺激を受けるとともに、都市部から見ると、地方自治体との距離は案外近く感じるものなのだと気づかされました。


翻って。

わたしたち(kajiyano)はどんな立場でどんな役割を担っていくのか。

たどり着いたひとつのキーワードが

「保証は無いかわりに、自由である」。

ちょっと飛躍していて伝わりにくいかもしれませんが、本質的に、どこかに属しているようで属していない存在だということです。

 

身近な単位からいえば、隣保、集落、地区、自治体。

その一員として、さまざまなサポートを得て暮らすことができています。

しかし仮に形式的にだとしても、事業としてkajiyanoがいずれかを代表した窓口になるとしたらどうか。

ちょっと考えにくいものがあります。


わたしたちのような(特に中山間地域の)民間事業者の強みは何か。

ひとつは、フラットな立場で相互交流し、地域を横断したプロジェクトにも携わることができること。

8月の東京→神河ツアーの調整でも感じたことですが、外部との連携において、構造的に自治体の枠組みではどうしても対応できないことも出てきます。

あるいは、仮に距離が近くても観光案内所は他自治体の温泉を薦めることは立場上難しいと思われます。

そうした問題からフリーであるのがわれわれ民間事業者だと思うのです。


という訳で、今回のサイトでは「神河町」や「砥峰高原」という単語は前面には出していません。(逆に地区内のマニアックな案内は有)

かわりに、「兵庫のまんなか」というひと昔前ならネガティブな立地条件を「文化やクリエイティビティの交差点」と再定義してみることにしました。

 

kajiyanoの軸は、主に以下の3つ。

①ジャパニーズコテージガーデン

②リゾートオフィス&コワーキング

③里山のフード&セレクト

引き続きトライ&エラーを重ねながら、ワクワクするようなことが次々と起こる場所に育っていってくらたらと思います。

今後ともkajiyanoをどうぞよろしくお願いいたします。

※早ければ月内に、ハイスペックなエアコンを設置予定です。快適なコワーキング環境をお探しの方はぜひ!と自信を持って案内できるようになりそうです。


今日の一句

 

夕焼の 中に小さき 生家かな

ゆうやけの なかにちいさき せいかかな

季語:夕焼(夏)

節目の記事に添える一句ということで迷いましたが、旧作より自選。

少しのノスタルジーと未来への希望を抱きながら、それぞれの人生を歩んでいくのだと思います。

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