田舎の暮らしは、「生と死」がすぐそばにあります。
秋口からの、蜂との闘いを経て、冬を迎えました。
秘伝?蜂捕獲トラップ
今年の秋口は、蜂にずいぶん苦しめられました。
干し柿や山茶花のまわりに蜂が飛び回っていて、洗濯物を取りに行けない。
出かけようと思ったら、石畳に落ちてつぶれた柿に蜂が群がっていて、回り道せざるを得ない。
まるで、コンビニに不良がたむろしはじめて、散歩ルートを変えるお年寄りのような状態でした。
自分たちの住まいなのに、蜂に行く手を遮られる暮らし。
何とかならないものかと思っていたら、村の大先輩がとっておきの方法を教えてくれました。
用意するものは、2ℓペットボトル。そして、計500mlほどの甘いジュースと日本酒。
ペットボトルを半分に切り、その中にジュースとお酒を注ぎこみます。
あとは、ペットボトルの胴体に開けた穴に紐や針金を通して出来上がり。
これを、木の枝やフェンスなど蜂が通りそうなところに仕掛けます。
すると、甘い香りに誘惑された蜂がその液体の中に飛び込み、そのまま酔っぱらって窒息するという仕組みです。
「そんなに上手くいくんだろうか」
と内心ダメモトと思いながら、山ぎわの木の枝に2か所設置してみました。
しばらくして、その存在も忘れかけていたある日。
ふと思い立って妻と見に行ってみると、驚くべき光景が・・・!
(以下、閲覧注意です)
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人間の天敵は、自然の天敵?
過去にカメムシ対策の記事を書きましたが、カメムシも蜂も、人間の暮らしにとっては天敵。
自然との距離が近い田舎で暮らしていると、その脅威と真正面から向き合うほかありません。
しかし、それはあくまでわたしたち人間の都合であり人間中心の論理です。
生態系全体にとって、植物の受粉をたすける蜂がいなくなったらどうなるか。
そんなことを想うと、なんだか自分たちの営む「小さく暮らし」でさえも罪深く思えてきます。
先人の知恵が詰まった民家や施設が日本中にたくさん残っているのに、誰かの利益のために、今日もまた田んぼや山が消え、新しい建物が次々と建てられる時代。
お天道様からみて、正しい暮らしとはいったいどんな暮らしなのか。
考え出すと、分からなくなります。
玄関で死んでいるカマキリ。
明け方、畳に横たわっている蛾の死がい。
「生と死」「自然との共生」を考えざるを得ない、田舎の暮らしです。
今日の一句
枯れ枝も 頼みとしつつ 冬の蜂
かれえだも たよみとしつつ ふゆのはち
季語:冬の蜂(冬)
少し頼りなげに木々の周りを飛翔する、この季節の蜂。
冬を越す辛さは人間も同じ。
”人間の知恵”により、ずいぶんとたくさんの蜂が、冬を越せなくなってしまいました。
17文字の中に、いつも、いろんな想いが込められていることに、感心するばかりです。
何かを伝えようとする時に、ぴったりな言葉をと探すと、あれやこれやと、つい長文になりがちな自分…
“お天道様からみて…”の一文に、日々、神河で暮らしながら、考えることが重なり、ついコメントを。
なかなか答えは見つからないですが、神河で暮らすことを決めた時に、大好きな方から「あんまり正しいことせんと、楽しいことしいよ。」と、笑って送り出していただいた言葉を思い出します。
お天道様が、笑ってみていてくれるような暮らしを、ゆっくりとしていけたらいいですね(^_^)
高橋 陽子
コメントありがとうございます。
俳句もコピーライティングも、短い言葉にどれだけの想いを託せるか、いつも悪戦苦闘です。
そぎ落とすあまり言葉足らずになっていないか、時間を置いて見直すようにしていますが、終わりがありませんね。
過程をそばで見ている妻には呆れられますが。
投稿すべきか少し悩んだ今回の記事でした。
そもそも何のために人が”仕事”をするのか、考えさせられることが最近多く・・・
ついつい感傷的になってしまいました。
「正しいことではなく、楽しいこと。」
『楽や』さんからのあたたかい言葉のプレゼント
ありがたく頂戴します。
自然の恵みや人とのご縁に感謝して、楽しく生きたいですね。
山口