台風20号の接近を背中に感じつつ。
最近考えていることを言葉にしてみます。
生き方の実験
お盆のさなか、高校時代の同級生たちと食事をしました。
外資系サラリーマン、消防士、そしてわたし。
高校を卒業して約15年。
二人の活躍や子育てのエピソードなどを聞いていると、この年齢でもずいぶん「人生いろいろ」に枝分かれしているなぁと感じました。
逆に、ヒッピーのような風貌の大学院時代、超細身のスーツを着ていた広告マン時代などわたしの過去を知る友人たちからすると、長谷での暮らしを続けている(続けられている)ことが不思議でならないようでした。
田舎で暮らしていると、「人口減少」「高齢化」「空き家問題」「後継者不足」といった日本の現象がまさに目の前の問題として感じられます。
何気ない会話の中でも、その周辺の話題になるとわたしは妙にリアリティを感じてしまいます。
一方で、「待機児童」や「ニュータウンの空洞化」など都市型の問題は彼らの身の回りの話であり、ニュースで聞く一般論とはまた違う温度感を持った生の話を聞くことができました。
「田舎の生活はいろいろ大変なんちゃうん?」と聞かれて、うーんとしばらく考えました。
「大変やけど、楽しい大変さかなぁ」
何気なく口にして、自分で納得しました。
わたしにとって大変なのは、いろんなバランスをとる難しさ。
例えば「現役世代だから」と「現役世代だけどあえて」。
どちらもあって、線引きが難しいところがあります。
そんな中で最近思考実験しているのが「だいたい半々」という尺度。
お金になること半分。ならないこと半分。
利益目的のサービス半分、奉仕的なサービス半分。
組織的な考え半分、独立志向な考え半分。
自分のためになること半分、地域のためになること半分。
分野によっては50:50になり得ないものもあるだろうとは思いつつ、当面は実験的にトライアンドエラーをしてみようと思っています。
ここまで書いてハッと気がつきましたが
もしかしたら
すべての人が「生き方の実験」をしている
と言えるのかもしれません。
時代によって、同じ選択をしても価値や結果がもたらされるものは変わってきます。
・企業に勤める/公的な仕事に就く/自営する
・結婚する/しない
・家を買う/買わない
・都会で暮らす/田舎で暮らす
・血縁のある土地で暮らす/ない土地で暮らす
いずれも「極」であって、「ちょっと田舎の西東京」など、あいだには微妙な幅があります。
それに掛け合わせることの、「時代」。
あるいは、「個性」「能力(の偏り)」 .etc
気が遠くなるほどの掛け算が生まれ、「枝分かれ」は毎秒進行・・・。
思えば、壮大な実験が世界中で日々行われています。
P.S.
大川原集落の地蔵盆は毎年8月23日。午前中に準備をして、台風が近づいているため時間を少し早めて屋内で実施予定です。
台風20号はもうすぐそこ。皆様、どうか無理はせず安全第一で。
今日の一句
行き違ふ人の横顔秋立ちぬ
いきちがふひとのよこがおあきたちぬ
季語:立秋(秋)
都会の景を頭に浮かべながら。
交差点ですれ違う人それぞれに、それぞれの生き方があります。
こんにちは。初めまして。「芝不器男新人賞」に応募で検索したら、この
ブログにたどり着きました。香川県で十数年ほど句作している涼野海音(すずのうみね)ともうします。(私も上記の賞の応募者の一人です)
香川も人口減少→空き家→更地に。そして田んぼが、どんどんソーラーパネルで埋め尽くされています。
高柳さんと同じ大学院で学ばれていたのですね。正直、「地方でそんな俳句は、はやってないなあ」句会も結社も、どんどん高齢者の退会者が出ているなあという現状です(^^;)(地元で超結社句会の幹事してます。身体的な問題で不在出句だけになる方、非常に多いです)。
私も都市部の若い俳人達と出会う機会はなかなかありません。(かろうじてネット句会ぐらいです)
コメントありがとうございます。遅ればせながら各新人賞受賞等のご実績を知り、改めて作品も鑑賞させていただきました。(「永き日の海のにほひの石ひとつ」は愛誦句になりました)
句作は東京を離れ今の地に移り住んでからのスタート、東京中心の「俳壇」はずいぶん遠くに感じます。
葛藤しつつ俳句と離れるに離れられないでいる中、今回思い切って芝不器男新人賞に応募したことで、大いに刺激を受けました。結果的にこうして涼野様とも出会え、いくばくかの光明とともに背中を押される気持ちです。
超結社句会とは『晨』でしょうか。若手が少ない中、高齢の方も退会されるとなると、総人口がいっそう減ってしまいますね。。
若手俳人の吟行などあれば、参加してみたいなと思います。なにぶん業界?の情報に疎いので、いろいろと教えて頂けますと幸いです。