食の価値観は多種多様。
グローバル社会に生きていることを実感します。
彼女はヴィーガン
もはや毎年恒例?の、長谷の古民家を買ったカナダ人アーティスト・ダニエル来訪。
一年が過ぎるのが早い・・・。
今回も、パートナーのヘザーが同行しています。
彼女は、ベジタリアンの中でも最も厳格な「vegan」(ヴィーガン、ビーガン)。
>○最も厳格なベジタリアン: 「ヴィーガン」
(出典)観光庁『外国人客への対応マニュアル(抜粋版)』 Pg.14
“vegan”の表記は、ヴィーガン? ビーガン?
” vegan ” [ví:gən] の日本語表記をめぐり論争が起きている。 本来、「ビーガン」だろうと「ヴィーガン」だろうと、言語は文化なのだから通じる範囲で自由に表現すればよいのだが、問題も出てきた。「ヴィーガン」の表記が「間違い」だと主張されることもあるため、事実の整理が必要となっている。 結論から先に言うと 「ヴィーガン」が望ましい …
「動物由来のもの」がNG。
つまり、肉や魚だけでなく、鶏肉やカツオでとったダシもNG。
彼女と外食する際は、「ダシに何を使っているか」に細心の注意を払わねばなりません。
居酒屋に行った時のこと。
彼女が食べられそうなものは・・・
メニューとにらめっこして、間違いのないものをチョイス。
「冷やしトマト」
「枝豆」
「冷奴」
「おにぎり」
「あともう1品ぐらい・・・あ、湯豆腐なら昆布ダシやから大丈夫やろね」
ところが、テーブルに届いてから、その店では湯豆腐のダシにカツオも使っていることが判明。
「Sorry…」
湯豆腐は、わたしたち夫婦とダニエルが美味しくいただいたのでした。
「bonito」(カツオ)と「Kelp」(昆布)。
日本でのヴィーガン対応において、非常に重要な単語だと思われます。
アレルギーとは異なり、「カルチャー」としての側面もあるヴィーガニズム。
影響力を持つセレブのあいだでも広まり、彼女曰く、カナダでは4〜5人に1人がヴィーガンだとも。
肉、魚。
卵。
だし。
彼女と出会い動物性の食材やメニューをチェックするようになったことで、わたしたちがいかに動物の命をいただいて生きているか気づかされました。
その一方で植物にも命はあるわけで、人間が食物連鎖から切り離されることは有り得ない。
じゃあどうしたら・・・
考えていくと、”人間の罪深さ”という宗教や哲学とも近接する世界になってきます。
単民族の農耕社会の日本と、グローバル社会の多様性(Variety)。
長谷の”限界集落”で暮らしながらこうした問題に直面するとは、考えてみれば不思議なことです。
今日の一句
ヴィーガンに詫びて喰ひける秋刀魚かな
ヴィーガンに わびてくひける さんまかな
季語:秋刀魚(秋)
旧仮名遣いと「ヴィーガン」は一句の中で共存するのか・・それはさておき。
目の前で魚や卵を食べる際には、彼女にひとこと詫びを入れます。