亀虫の骸からりと回りけり


カメムシは、最期に何を想う?

※2022年10月9日の記事を解説版に書き換えました。

長谷の夏は短い。

眩しさの中で肌がしずかに灼ける5月の田植えシーズンから気温が上昇し、湿気対策に追われる梅雨時期をはさんで、7〜8月ごろには雑草たちの生育がピークを迎え、草刈りをしなければと思いながらも根負けの日々。

それが稲刈り前後あたりからは朝晩の気温が下がりはじめ、どこか夜風にも秋の気配。

過ごしやすくなり「あぁ、今年も夏が終わったんだな」としみじみ実感しながら衣替えをし、ほっとするのもつかの間。

今度は彼らとの戦いが始まるのです。

そう、カメムシ。


北部の田舎で暮らしている人にとっては、もはや生活の一部。

靴下の中にいることに気づかず履いて大騒ぎになったり、なにげなく置いた手がタッチしてしまい、なかなか取れない匂いを石鹸でこすったりお酢をつけてみたり。

田舎暮らし歴が長くなってくると、「カサッ」という落下音だけでも、だいたいの居場所がわかるようになります。

あれだけ憎らしかったカメムシだけど、駆除しなくとも意外に早く衰弱して息絶えます。

猿や鹿もそうですが、何年も同じ時間、空間を共有してくると、どこか親しみというのか”他人でない”ような気持ちがわいてくるのが不思議なところ。

サッシのすきま。畳の縁。建具のすきま。寿命をまっとうしたカメムシの乾いた死骸をホウキで掃き出しながら、「彼らにしてみたら、生きてるだけなのにな」と人間の身勝手さも想うのです。


思考と表現の軌跡

「亀虫」は秋の季語

カメムシを詠もうと思い立った瞬間に、この4文字(4音)を句のどこに置くかという検討から始まる。

家を建てるときに、敷地を見渡して手書きで図面を引く段階に似ているかもしれません。

中七に置くとしたら、そのときは上五に修飾語が来るか、上五でかるく切れる形になるはず。

(例)
「よろよろと亀虫」〜

「息絶えて亀虫」〜 等

ただ、このとき僕が詠みたかったのは、忌々しく動き回るカメムシではなく、カメムシの死骸

「死骸」は直接的すぎる。視覚的にも文字が強い。

「亡骸」「「なきがら」は、感傷的すぎるきらいがある。

「骸」「むくろ」、、、うん、「骸」がちょうどいい。

どこに置くかは決まっていないけど、「亀虫の骸」というかたまりが固定された。

ぼくが不勉強なだけかもしれないけど、「山水図を亀虫が歩く」とか生き物として捉えた句は散見するものの、死骸はあまりない気がした。この着眼点がもしレアだったり新しかったりするなら、この7音だけでも”手柄”となるかもしれない。

ただ、その後が難航した。「手に持ってみると軽い」とか「蝉の抜け殻のようだ」とか、芯を食っているのか食っていないのか手応えの乏しい表現が頭をよぎるばかり。

こういうときは、いったんお蔵入り!


句作メモから引っ張り出して推敲する過程で、生きているかどうか分からないカメムシを「デコピン」の指で弾き飛ばしたときに、実は死んでいてキュルルルルと空回りして止まったときのことがフラッシュバックしました。

カメムシの死骸は、軽い。

斎場で祖父の遺骨を拾いながら
「あっけないなぁ」と力無くこぼした父の姿を思い出しました。

一人の人間、一匹の虫が生きている間は、他の生き物へさまざまに影響を及ぼし世界を賑やかすけれど、生命活動を終えると物体になり、重量を失い自然に還っていく。

その逆らえない運命を、私たち人間もカメムシも等しく持っている。

指で弾かれ、仰向けに手足を広げながら、駒のように運命のルーレットのように、くるくると回る亀虫の姿には、おかしみと悲しみが同居している気がしました。


いちばん悩んだのは中七。

「からから」などの音の表現、あるいは反対に「音無く」「しづかに」等も試した上で、過不足のない表現を求めて「からりと」に行き着きました。

もっと良いものがある気もするけれど、数年待ってもまだアイデアはありません。

下五は「輪廻」からの連想で「廻る」とすることも考えたけど、この乾いた空虚さを表現するには意味を持ちすぎる。

円を描いて単純に「回る」。切れて「回りけり」。今回はそれでじゅうぶんな気がしました。

ちなみにこの句、読み終わった瞬間に亀虫はどんな状態と想像しますか?

作者のぼくは、「くるくるっとまわり」「ほぼ止まり」「惰性で少し揺れる」というコマ送りのような動きを実はイメージしていました。

あなたの脳裏のカメムシは、どんな風に回っていますか?


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