日常から、首を伸ばす。
※2023年7月24日の記事を解説版に書き換えました。
俳句の世界においては、自句自解=自分の句の意図や背景を自ら説明することは御法度と言われています。
あくまで読者の想像に委ねるべきで、本人よる具体的な説明で作品世界を規定してはいけないというのがその理由。
たしかに、本人の意図と全く違うところで新たな読みが生まれる面白さはあります。
でもただでさえ「難解」「とっつきにくい」と敬遠されがち(遠目に眺められがち)な現代の俳句において、裾野を広げるためには考え方を変えていってもいいのではと思うことも。
そんな中での生成AIの飛躍的進化。作品を作り、批評もできる。もはや人間が作ったものと判別がつかないという理由で川柳コンテストが取りやめになったことは大きなニュースになりました。
ひとつの時代の終わり。
「解説があったほうが絶対とっつきやすいし興味持つ人も増えるのになんでせーへんの?俳句人口少ないんやろ?」
以前からそう言われて返すことばがなかったけど、作品のオリジナル証明のためにも作者の「人間味」や「プロセス」を見せるべきときが来たのかもしれない、と勝手に解釈してこんなスタイルで再出発しています。
作品の背景
表題句について、「アフリカ旅行で出会ってきた」と言いたいところですが、国内、それもごく身近な場所で出会ったキリンが題材。
舞台は、こどもと行った動物園。
俳人というのはちょっとけしからん性質を持っていて
人と話していても、こどもといても、冠婚葬祭、会合のさなかでも
「あ、もしかしたらこれは句種(くだね)になるかもしれない」
と内心思いながら神妙な面持ちを取り繕っていることがよくあります。
あの日曜日のぼくも、まさしくそう。
今この時も成長し、いずれ離れていく息子と手をつないで園内にいるのに、俳句取材パトロールよろしく、何か引っ掛かるものや心動かされるもの、おかしなもの、シュールなものがないかとぼんやりキョロキョロ。
こんなとき、だいたい妻はお見通し。
「今、俳句のこと考えとったやろ」
「俳句モードですか?」
ツッコミとも嫌味とも取れる牽制球が定期的に投げ込まれ、現実に引き戻される。
俳人は忙しいのでそっとしておいてください。
思考と表現の軌跡①
「目の前にキリンが寝そべっていた。近くに、だれかが落としたのであろう紫色のアイスが溶けていた。」
こどもといっしょにいるし、頭に文字として浮かぶのは「きりん」。
あるいは「キリン」。
これを漢字で表記すると、中国古来の想像上の動物である「麒麟」が立ち現れてくる。
(よく見るとたてがみに「キ」「リ」「ン」が隠れている、キリンラガービールのアレ)
「この場合『かな』と『漢字』どちらがふさわしいか」
鑑賞でもよく論点となる部分です。

Wikipedia
その異形の生き物が、ただそこにいたというよりは、暮らしている。
住んでいる、、、
住むというよりは、「棲む」?
「棲む」だと野生味も出る!
そんなプロセスを経て、上五が落ち着きました。
俳句の「五七五」のことを、上五(かみご) 中七(なかしち) 下五(しもご)と呼び分けます。
少なくとも僕たち親子が観察しているあいだ、キリンはアイスに口をつけませんでした。
何かが起こるのではないかと期待したぼくは、がっかり。
日差しの強い日。脳裏には、時間とともにドロリと溶けてスライムのようになったアイスが覆う砂土が浮かんでいました。
ちなみに、われらがバイブル歳時記には「氷菓(ひょうか)」という季語が載っています。このほうが引き締まる感じがするし、俳句らしい。
でも、この句は「アイス」でないといけないと思ったのです。あのクリーミーさ、溶ける質感、あるいは31アイスのような極彩色のポップな色味。
読者にそれを想像してもらうには、「氷」が見えてはいけない。
「アイスが落ちにけり」
あるいは
99.8%の社会人は存在を忘れているであろう「主格の『の』」でつないで、「アイスの落ちにけり」あたり。
リズムの足らずは、「土に」でちょうど収まりそうだ。
いったん書き留めました。
思考と表現の軌跡②
「麒麟棲む土にアイスの落ちにけり」
収まりはある。だけど、もうひと工夫できそうな気がする。
俳句の世界では「取り合わせ」といったり「二物衝撃」といったりするのですが、要は、火花が散るように異質なものがぶつかり化学反応が起きているかという基準でみたときに、「麒麟」と「アイス」はほどよくぶつかっている気がしていました。
ただ、カバンのから歳時記を取り出して確認すると「アイスクリーム」と載っている。そもそも「アイス」では成立しなさそうです。
「アイスではなく、アイスクリーム・・・」
「これだけで七音使うのか」
「長いな」
生成中のAIの進捗表示のように、脳内会議が進行します。
あの瞬間に見上げたキリンの首の長さ、空間の広さが出ていないことが気になっていました。ピンポイントのミクロの描写で、視点は地面。
字数は食うけど、本来の縦書きにすればなおさら「アイスクリーム」という文字や響きには「長さ」あるいは「高さ」が感じられます。
長い首を見上げ、足元へと動く視線の動き。
垂直の落下も見えてきそう。
意外とハマる気もしてきて、「アイスクリーム」を固定しました。
俳句は「五・七・五」の十七音が基本ですが、またがってもOK。「句またがり」といいます。
あとはどう整形してリズムを整えるか。初案の伝統的な切れ字を捨てて、シンプルに、「落ちる」の文語で「落つ」。「アイスクリーム落つ」としてみました。
最後が切れないことで、逆に、静寂と時の経過も出る。
これだ!と思いました。
子どもが熱望するミニ列車にも乗り、メリーゴーランドにまたがり、最後は頼れるパパ感を漂わせながら駐車場へエスコート。
たしかな手応えと達成感をひそかに抱えながら、幅寄せし精算を済ませて帰路へ着きました。
滞在中の合間合間に推敲していたので、着想からジャックされた脳内会議でその結論に達するまで、トータル3時間くらいで形になった句だったかと思います。もしかしたら、より良い形がないか運転中も推敲していたかもしれない。
妻が怒るのも無理はないですね。
archive
麒麟棲む土にアイスクリーム落つ
きりんすむ つちにアイスクリームおつ
季語:アイスクリーム(夏)
