田舎で子育てするということ
前回の記事で、なかなか滞っているので、趣旨を変えて他者の句の鑑賞などをしていこうかと書いたらもっと滞ってしまいました。
とにかく、続けてみる。リハビリのように筆をとっています。
9月で父親歴5年目に突入しました。
「父親力」も「夫力」も、評価する通知表はないけど(後者は低そう)、こどもたちの成長のようすを見ていると、伸びたい方向への邪魔はしなかったのかなと思っています。
いまだに言われるのは、「山口くん家の子は、砂利の上でも裸足」。
3歳くらいまでは、広い敷地じゅうを裸足で走り回っていました。
「ほんまにようやるわ、すごいわ」
と、村の方が言ってくださる表情に微妙な呆れや困惑もときに感じながら、言葉どおりに受け取ってきて今に至ります。
長男は話し始めるのが遅く、「もしかしたらこのままだろうか」と心配しましたが、今では大人以上に長い文章を理路整然と話し、自分で靴を履いて、友だちと追いかけっこや木登りをしています。(木登りも、いろんな面で市街地では難しいようですね)
結婚当初から「自然の中でのびのびと子どもを育てたい」という気持ちは妻と同じ。
喧嘩の絶えない同級生の夫婦ですが、子育ての考え方が基本合致しているという点に関しては幸福なのだと思います。
それにしても、、「似なくていいのに」と思うところが僕と似ている長男。似通ったDNAをもちながらも、姫路の新興住宅地で生まれ育った父親と対照的な環境で幼少期を過ごす山口少年は、いったいどんな大人になっていくのでしょうか。
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蜩や血の通ひたる手をつなぎ
ひぐらしや ちのかよいたる てをつなぎ
季語:蜩(秋)
過去から現代、親から子へ。脈々とつながるものがあります。
あの世とこの世をつなぐかのように幻想的にリフレインするヒグラシの声と、親子のつながり、人体をどくどくと流れる血のたしかさ。そんな取り合わせで、時間や時空を越えて響きあうような表現を目指しました。ちょっと怖い句?