颱風の来て沖縄の民の立つ


秩序をゆさぶるもの。

※書き下ろし

先日、日本列島に台風が接近していました。 こちら播磨地方には大きな被害はありませんでしたが、進路にあたる地域で災難に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

「嵐の前のしずけさ」

あるいは

嵐が去ったあとのさやけさ。

「自分ではどうにもならないこと」の象徴である台風。

その発生から通過まで、毎年心が揺れ動かされます。


思考と表現の軌跡①

アナウンサーが読み上げる、台風上陸のニュース。

「沖縄本島には、明日未明ごろに接近し・・・」

「現地の沖縄に、中継がつながっています。〇〇さーん」

見慣れていて、聞き慣れてはいるけれど、よく考えたら、日本で台風が最初に直撃するのはいつも沖縄。

言わずもがな、”本土”と複雑な関係にあり、いろんな意味で境界線上にあります。

沖縄の人々が戦時中に経験したもの。負わされたもの。

観光という産業の宿命。

ときに有無を言わさずあらゆるものを薙ぎ倒していくエネルギーをはらむ台風という存在。そして、「宿命」「意志」。

そうしたキーワードが浮かんできました。


思考と表現の軌跡②

「台風」「沖縄」

ここからが、難しい。

「台風や」と切ってみてもいいし、「沖縄や」と切ってみてもいい。

ただ、シュパっと端正にまとめて飾るような句ではなくて、生々しい映画のワンシーンをじーっと追っているような、「うごめく人間の身体性」を表現できないかと考えました。

(今思ったけど、幼少期から観ている『ゴジラ』の上陸シーンの影響があったのかもしれません)

意思の及ばないところから飛来するものや大風の到来に、立ち上がり、あるいは立ち尽くす民衆の姿。

「沖縄の民の立つ」

いわゆる”動かない”気がしました。


思考と表現の軌跡③

俳句では、台風は「野分(のわき)」といいます。

野の草を分けるほどの強く吹く風という意味で秋の季語になっています。

それが日本古来の呼び名で、のちに中国由来の「颱風」(Typhoonの語源とも)、戦後の簡易表記で「台風」と変遷。

見慣れているのは、「台風」ですが、「颱風」のほうが大きなものを孕んでいるようにも見えて威圧感があるように感じ、こちらを採りました。


さて、あとは3音。

逡巡した結果、「の来て」と軽く置きました。

幾度となく国策に振り回されてきた沖縄の人々。

大きな嵐の到来に

「またか」

と、つぶやくような醒めた感覚が出ればとこの形にしました。


滑らかな句ではありません。

むしろ、ぶつ切れ。

「結果的にこうなった」というタイプの句でもあるけど、思いがけず、表情の読めない関節人形が、引き上げられるようなアニメーション効果が生まれているかもしれないとも今回思いました。

みなさんはどう感じましたか?

この句は、沖縄をめぐる政策について、政治的なメッセージを伝えるものではありません。問題はそれぞれ切り分けて考える必要があると思わされます。ただ、画面越しではあるものの自然という圧倒的な暴力に対峙する「人間の佇まい」そのものに感情を揺さぶられたことが作句の動機となりました。


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颱風の来て沖縄の民の立つ

たいふうの きて おきなわのたみのたつ

季語:颱風、台風(秋)

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