流れて消えるか、父との記憶。
※書き下ろし
なぜだかこどもたちを夢中にさせるアイテム。
光る腕輪。
正式名称が分からない。

ある夏の夜。
たしか地域の「ほたる祭り」の縁日で手に入れた、ピカピカの電飾腕輪を大事そうに身につける長男。
日が落ちて、あたりは真っ暗。
「これつけてたら、くらくなっても、きれいによくみえるなぁ」
うっとり女子モードの長男と手をつなぎ、夜風にあたって少しかばりの散歩タイムとなりました。
上流から勢いよく流れる、浅い側溝沿い。
それは一瞬のできごとでした。
田んぼの水口の詰まりが気になったのか、溝に手を入れたなと思ったそのとき、ぽろっと腕輪が外れて落ちました。
「あっ!!」
2人とも声が出ました。
もし見つからなければ、少なくとも今晩じゅう、長引けば1週間以上引きずりそうな、トラウマ級の事態。両親にとっても、平和な夏休みを守るためには全力を尽くさねばなりません。
「おとうさん!したでとめて!」
「よし、分かった!」
夜道を全力で走り、グレーチングを外してスタンバイ。
しばらくしても流れてこないので、どうやら途中の草か何かで引っ掛かっているようでした。
「おとうさん、ぼく、いいこと思いついた!むしとりあみとってくるわ!」
「それまで、ちゃんとみててね」
気づけば現場指揮ポジションの長男。
無事に網を使って回収することができ、二人でほっと顔を見合わせたのでした。
思考と表現の軌跡① あの「ピカピカの腕輪」を何と詠む?
初案は、「電飾の腕輪追ひゆく夏の川」。
実際、電池式のカラフルに光るタイプだったし事実には近いことになるのですが、若手中心の超結社句会で提出した結果、「状況がわかりにくい」という指摘がありました。
なぜ伝わりにくかったか: 「電飾」という言葉は、イルミネーションや街頭の光飾りをも連想させるため、スケールがミスマッチ。また、追いかけるのは川の中(泳いで?)なのか、道なのか?など、悪い意味で議論が生まれてしまう、焦点のぼやけた句になっていたと反省。
オーバーに見えないよう、”電飾”ではなく「蛍光の腕輪」としました。
そして
「迷ったら、引き算」
「ものに語らせる」
この原則で、掲句の形に落ち着きました。
思考と表現の軌跡② 流れの先には
いろんな想いを詠み込みたいけど、なにせ俳句は17音。
「今、この瞬間に、目の前を流れている。」
ここだけを切り取り、あとは読者に委ねる形にしました。
推敲の過程で頭をよぎったのが、虚子の有名な句。
「流れゆく大根の葉の早さかな」高浜虚子
「静かな川の流速」を大根の葉で捉えた、鮮烈な作品です。
対象は、同じ「川の時間」。
比較するのも本来おこがましいのですが、拙句は「夜の闇の中で、現代の(人工的な)光が、ゆらゆらと、そして案外速く流れていく」という切り取り方ではあるのですが、剽窃(いわゆるパクリ)ではないと判断しました。
でも影響がないかと言われたら、あるかもしれない…。
こんなことまで開示するのが当ブログの試みです。
父と息子の、ひと夏の思い出。
日々流れゆく膨大な情報の中で、草か枝に引っ掛かって、記憶の片隅に残るのか。
それとも、海に流れ出てしまうのでしょうか。
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蛍光の腕輪流るる夏の川
けいこうのうでわながるる なつのかわ
季語:夏の川(夏)
