新涼や栞挟みし古書あまた


毎年8月23日は、村の地蔵盆。

おでんやお酒を片手に、わいわいと盆踊りを楽しむ一日です。

しかし残念ながら、今年は自宅謹慎。寂しい初秋のひとときとなりました。

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田舎暮らしなのに、デジタル漬けの日々!?

ここのところ、公私ともWeb三昧です。

サイト制作やメンテナンス、運用などに追われており、長谷に居る時間の大半をパソコンと共に過ごしています。

ご存知のとおり、わたしたちの暮らしは・・・

 

テレビもねぇ!

 

ラジオもねぇ!

 

車もそれほど走ってねぇ!

 

と、吉幾三の歌を地でいっていますが、大きく違うのは、ネット回線が通っていることです。

日々の情報収集も主にネット経由、仕事の連絡や家族・友人との連絡はFacebookLINE

となると、一日中オンライン状態です。

便利な生活ではありますが、骨折して運動できないストレスも加わり、さすがにデジタル疲れを感じてきました。

明確にスケジュールのある仕事は迅速対応が基本ですが、それ以外の場面においては、デジタルデバイスともう少し距離を置きたいと思い始めています。


本を読む時間を作る。

「人間の集中力は30分が限界」

とよく言われます。

ところが、パソコンの怖いところは半強制的に神経が刺激されて長時間没頭してしまいやすいことです。

サイトの制作やサーバー移行など、あちこち情報収集しながら進める作業などは、気づけば驚くほどの時間が経っていることが珍しくありません。

ただ幸いなことに(?)、わたしには「俳句を詠む」という純粋にオフラインな時間が断続的に訪れます。

長谷では近頃すっかり涼しくなったこともあり、せっかくなので”積ん読”状態だった本から何冊か読むことに決め、句作とあわせてインプットの時間を作るようにしました。

↓若き日の折口信夫による短歌史等。面白かったです。


読書から得られる気づき

パソコン漬けから逃避するように本を読みはじめて感じるのは、情報を得るにあたって「待ち時間がない」ことの素晴らしさ。

つまり、パソコン作業における読み込み処理待ちインストール待ちのような時間がなく、ダイレクトに情報に接することができる利点です。

そして、「ちゃんと疲れを感じて、すぐ中止できる」こと。

次の一章をひと息に読めるかと思ったら案外バテていることに気付いたり、興味がない部分は眠くなったり。

そんなときは、しおりを挟んでパタッと本を閉じればOK。いつ再開するかも自分の自由です。


お恥ずかしながら、大学院時代、図書館で調べものをしていて寝てしまうことが度々ありました。

辞書や研究文献を片手に膨大な江戸の連句と格闘していると、突如としておそろしい睡魔が襲ってくるのです。

言い訳でもありますが、それが(わたしの)本来持っている集中力の限界なのだと思います。

 

疲れたら、休む。

休んだら、またモチベーションを蓄える。

 

からだに無理をさせないことが、長い目で見れば合理的なのかもしれません。

↓これも読みました。脳自体は疲れないそうです。


今日の一句

新涼や栞挟みし古書あまた

しんりょうや しおりはさみし こしょあまた

季語:新涼(秋)

(しおり)は、「枝折」とも。(山に入るときに枝を折って目印としたことから)

どこかに置いてきた感情をまた運んでくるような、秋の涼しい風。

「そろそろ読書の秋か・・・」と思って本棚を見やると、古本屋で買ったものの最後まで読み切れなかった本がずらり。

本棚は嘘をつきません。


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