おかげさまで、今年の新米の20㎏パックは無事完売しました。
「作って」「売る」大変さと面白さを噛みしめて・・・。
1反7畝の田んぼから生まれる恵み。
わたしたちの田んぼの大きさは、約1反7畝(1.75a)。
1反は300坪なので、約510坪です。
日々出入りしていると感覚がマヒしてくるのですが、Google Earthで上空から見るとけっこうな広さです。
5月の中旬に田植えをして、台風を乗り越えて9月21日に収穫できたのが約600㎏。
そのうち、200㎏を山口家の分および『谷間の家さんきら』のお客様用に確保して、残りを販売しました。
「美味しいお米ができた!」という自信はあったものの、果たしてどのくらい反応があるか心配でしたが、ふたを開けてみれば、Facebookやこのブログを通じて次々とご注文が入り本当にうれしく思いました。
また、初年度から販路を確保できたのは嬉しい誤算でした。
峰山高原ホテルリラクシアで販売が決まり(現在も販売中)、ホテルモンテローザでも近日販売開始予定です。
いずれも、見ず知らずの相手ではなく、これまでご縁があってお付き合いさせて頂いている方がほとんどです。
日々の営みや活動の中で出会ってきた人とわたしたち夫婦を、お米がさらに近づけてくれる。
そう思うと、お米への感謝が何重にもなります。
小規模生産者の楽しさと大変さ
一方で・・・。
米づくりはかつてに比べて、簡単にもなり、難しくもなっているといいます。
どういうことかというと、機械化と合理化により、牛を曳いて手植えや手狩りをしていた時代では考えられないほど労力が減っている反面、その機械の維持コストと米価の下落で結果的に米農家が儲からないという構造になっているからです。
高齢ながら何枚も田んぼを管理されている先輩は、
「米を作って売るっちゅうよりは、田んぼの維持のためにやっとるんや」
と仰っていました。
特にわたしたちが暮らす大川原集落は山あいで土地が狭いため、大規模栽培は難しいという事情もあります。
なかなか専業やそれに近い形での農業は成立しません。
その反面、なんとか一家で作れる(農会長や営農組合のオペレーターさんのサポートがあってこそですが)規模であれば、より”顔が見える”お米ともなります。
規模と経済のバランスで大変な面もありますが、
新米を届けたときの、場がパッと明るくなる感じ。
こどもが「美味しい」と言って食べてくれる場面。
その喜びは、言葉にできないものがあります。
今もむかしも、田んぼとお米は田舎の暮らしと切っても切り離せない存在です。
今日の一句
人去りて 雀降り立つ 刈田かな
ひとさりて すずめおりたつ かりたかな
季語:刈田(秋)
稲刈り後の景。
にぎやかな収穫作業が落ち着くと、「待ってました」と言わんばかりに雀たちが落ち穂をつつきにやって来ました。
P.S.
10月4日放送の『NHK俳句』で、選者の池田澄子さんが、グランプリである「一選」に次の句を挙げました。
朝霧の統(す)べるは父の遺愛の田
選の理由として、
「遺愛の田っていうのは、この作者にとってはもちろん有難いこと。でも、人によっては人生縛られるってこともあるわけでしょ。兄弟喧嘩が起こることもありますよね。そんなたくさんのことを想像させる。作者個人の主題を離れてみんなの主題になっていると思います」
という趣旨の解説をされていました。(正確でなくごめんなさい)
池田さんの回はいつも、ことばひとつひとつに心を揺さぶられます。