父待ってゐし団栗の坂の上


当事者になってわかること。

今後の更新の方向性

生成AIの進化・普及により、川柳など文芸のコンテストが中止に追い込まれてきたことを時代の区切りと捉え、作品の推敲過程を公開する方向にシフトした当ブログ。

そのお知らせ文に「過去記事の作品も編み直すつもり」と書いたのですが、いざやってみると、過去の記事は非常に触りづらいです。

気に入っている句もあるのですが、それと紐づいた記事が当時のタイムリーな内容になっていて、消すのも、上書きするのも違うなと思ってきました。

(読者さんには申し訳ないのですが、エッセイファーストで句を作っていた時期は、お恥ずかしいクオリティの作品が多々…)

というわけで、作品ストックがあるあいだは当面、未発表句を軸に更新していこうと思います。


世の中、先達との距離。

前置きが長くなりましたが、この歳になると(典型的クリシェですが他に思い浮かばない)

「20年前にはわからなかったけど、今はわかる」

ということが増えてきます。

たとえば道路の標識。

「スピード落とせ」

「急カーブ注意」

かつては「ちょっと大げさに言ってるんじゃない?」「とはいえ大丈夫でしょ」くらいに思っていました。

でも、実際に指示に従ってみると、、たしかにそのとおりなのです。

その地点から減速したほうがあとが安全でスムーズだし、まだ見えていない急カーブの存在は、事故を防ぐために早すぎず遅すぎないタイミングでドライバーに知らせる必要があります。

「あぁ、ここにあるべくしてある標識なんだな」

しみじみ納得するとともに、取り付け前や設置後にテスト走行した人たちの姿も目に浮かび、感謝の気持ちも湧いてくる…

などと、セックス・ピストルズに憧れて鋲をまとい今はなき姫路のフォーラスをうろうろしていた高校時代の自分に言ったら「ダサっ」と一蹴されそうです。

だけど、これが今のリアル。

「心境の変化」のトリガーのひとつは、「父親になった」ことではないかと思います。

「若かった父親は、あのとき何を思っていたのか」

息子と向き合う中で、父について考えることが増えました。今回は、父との記憶を重ねながら推敲した句について紹介します。


思考と表現の軌跡 |「団栗の坂」と幼少期の記憶

次男もいっしょに、家族で色づいた山を散策していた秋の日。どんぐり集めに興じるこどもたち。

秋らしい澄んだ空、虫の音…。

ふと懐かしい気持ちになりました。

汚れるからと砂遊びを嫌い、虫とりも苦手、あれこれ本を読んだりことばに夢中だった少年に。

父は、すでに興味を持っているものは自分でさらに探求するよう促していた(本棚に本をしのばせる、それとなく映像を見せる等)記憶がうっすらとあるのですが、色濃い記憶は、いっしょに参加していたボーイスカウト活動。

PRツールが配布されていました。※関係者ではありません。

ふかふかの落ち葉を踏みながら歩いた山の景色。

カラフルなボディペイント。

手作りの太鼓。

ロープ。

「自分からやりたいと言ったのかな?そうじゃない気が、、」

断片的に思い出していると、こどもたちが駆け寄ってきました。


思考と表現の軌跡 |ありのままに作ったらこうなった。

そんなひとときがきっかけで、作った句。

初案は「父を呼び団栗の坂駆けてこよ」

だんぐりではありません。どんぐりです。

…推敲して捨てた句を、なかったことにせず晒すのがこのブログです。

「映画のワンシーンのよう」と言ってもらえるかもしれないけど、作品ストックを掘り返した際、瞬時に「これはだめだ」と思いました。

「呼び」「駆けて」「こよ」と、17音の中に動詞が渋滞していて、せっかくの「団栗の坂」というリアルかつ豊かな背景が、バタバタとした動きの影に隠れてしまっている印象があるからです。

感情が入りすぎて、こうなることはよくあります。時間をおいて見返すのは大事…。


思考と表現の軌跡 |引き算からの、「待ってゐる」か「待ってゐし」か問題。

「駆けてくる」「こども」は除外しました。

抽出したのは「団栗の坂の上で待つ父」

2パターンで迷いました。

A 父待つてゐる団栗の坂の上
(「今、そこに父がいる」という空間の広がりが出る)

B 父待つてゐし団栗の坂の上
(過去形にすることで、記憶の物語になる)

実際には健在なのですが、Bであれば遠い回想という解釈も生まれ、読者それぞれの「父の記憶」が想起されればと採択。

なお、「坂の上に立つのが自分」とも読める点に関しては、その曖昧さは俳句においては許容されるものではないかと考えました。

「登山道を登ってくる老いた父を、じっと待っていた」という鑑賞もありえると思います。

好奇心を育みながら、野にも出してくれた父親の包容力。

山間部の家庭と小さな学び舎で、こどもたちにどんな経験をさせ、成長を見守っていくか。今まさに直面している中で、秋の山に立つ、若く逞しい父の姿を想うのです。

いくつになってもトライアンドエラーを繰り返すぼくの姿が、いつかこどもたちの記憶のひとコマとなるのでしょうか。


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父待ってゐし団栗の坂の上

ちちまっていし どんぐりのさかのうえ

季語:団栗(秋)

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