先祖がつどう、盂蘭盆会(うらぼんえ)。
一年に一度、ご先祖とじっくり向き合うひとときです。
慌ただしき長谷のお盆
この時期、和尚さん(頭にアクセントで「おっさん」と呼ばれます)は大忙し。
長谷では禅宗がさかんで、『祐泉寺』のおっさんは8月10日から檀家を棚経(たなぎょう)して回ります。
大川原地区は、13日の朝からでした。
仏間でお経をあげていただいてから、お布施をわたして見送ります。
前日の12日夜には、門前にて迎え火。また、盂蘭盆会の締めくくりとなる15日には、送り火を焚きます。
燃やすのは、苧殻(おがら)。
麻の皮をはいだ後にのこる、芯の部分です。(麻は古来より神聖な植物と考えられてきたそうです)
送り火に際しては、お供えものを犬見川に流します。
このならわし、全国的に、「川が汚れる」という理由で近年は行われなくなってきているそうです。
しかし、「川が汚れる」ということでいえば農薬や除草剤のほうがよっぽど生態系にダメージがある訳で・・・。
自然に還る食べ物ならば、夏の趣きのひとつとして宜しいのではないかと思いますが、どうでしょうか。
田舎のお墓を守るのは、大変なこと。
墓参りの時期になると、大川原を出て街で暮らしている方々と出会います。
心中を勝手に察すれば、「お墓がある」という理由でここに通わなければならないのは、正直辛いところだろうと思います。
大川原に共同墓地ができたのは、約20年前。
それまでは一家ごとに山の中に墓を建てて個別管理していたそうで、周辺の山中には、その時代のお墓が残っているそうです。
共同墓地内は、町の管理ではなく、墓の所有者によって自治管理されています。
年に2回、共同墓地清掃が行われていますが、参加する方の高齢化が進み、とくに暑い季節の作業は大変そうです・・・。
「代々続かない」時代の家と墓
かつて、家は「代々続く(べき)もの」だったのだと思います。
だからこそ、旧蘆田一族も、家を絶やさないよう養子縁組を度々おこなってきています。(それにより、家系図がややこしい・・・)
戸主は、「一国一城の主」。
感謝の気持ちとともに先祖をうやまいつつ、子孫のためとも思い、長く住める家と土地を残そうと努力してきたことでしょう。
しかし皮肉にも、立派な旧家で生まれ育った人は、都会へ進学~結婚し、そのまま都会で一家をかまえる傾向があります。
結果的に、文化財的に”価値の高い家”が放置され、時間とともに朽ちているのを目の当たりにすると、なんとも歯がゆい気持ちになります。
「空き家問題」については、定住せずとも、灯りがともる家が増えれば良いなと思っていますが、お墓のことまで考えると、やはりその子孫が住み継ぐに越したことはありません。
といっても、仕事の条件や配偶者の気持ちなど難しい面が多々あると思うので、「空き家にするなら、家は人に貸す」「年に一度は、先祖に手を合わせに行く」が現実的?
となると、住民がさらに減少し、この土地になじみのない子孫のみが墓守りをする時代には、お金を出し合ってどこかに委託?
日本が抱える社会問題と直接向き合わざるを得ない、”限界集落”の暮らしです。
今日の一句
山あいの一本道の門火かな
やまあいの いっぽんみちの かどびかな
季語:門火(秋)
8月15日の晩、門の前に苧殻を積んで送り火を焚きました。
先祖はどちらへ帰るのか、谷上から谷下へ、心地よい風が吹き抜けていきました。
(「門火」は、送り火と迎え火の総称です)