遠き日を想う川辺の河鹿かな

50年前。100年前。あるいは50年後。

自分の年齢以上のスパンで、家や地域の歴史を考えさせられます。


家が見とどける歴史

「百年の家」という絵本に出会いました。

作: J・パトリック・ルイス 絵: ロベルト・インノチェンティ 訳: 長田 弘 出版社: 講談社

語りべとなるのは、1656年に建てられた古い家。

ペストの大流行により住み手を失い、廃屋と化していった家を、1900年に偶然子どもたちが発見するところから物語が大きく動き始めます。

家の改築、居住、果樹の栽培、冠婚葬祭、第一次世界大戦、戦死、第二次世界大戦、子の旅立ち、死・・・

定点観測で、繊細かつ精緻なイラスト(絵画)とともに人々が織りなすドラマが描かれていきます。

詩的な文章も味わい深く、

「住まい手の変化に家はどう向き合っていくのか」

「人と同じように、家も誕生した瞬間に死が待っているのだろうか」

など様々なことを考えさせられます。

興味を持たれた方はぜひ一度手に取ってみてください。

(書いていて、NHKの定点観測ドキュメンタリー「72hours」を連想しました。筋書きがないのにドラマが生まれる不思議。事実は小説よりも奇なり。)


いまや一般名詞のように扱われる「空き家問題」

過疎化が進む地方自治体だけでなく昨今都市部でも空き家が増えていると聞きますが、問題の根をたどっていくと、そこには必ず「希望」があるのだと思います。

「ここで家族と新しい生活を築いていきたい」

「家族の幸せがいつまでも続いてほしい」

住む人がいなくなったというのは結果論であり、すべての家は家族や子孫の幸せを願って築かれたものであると思います。


「空き家があるから、何かに活用しよう」

と割り切ってシンプルに考えるのも良し。

ただし、住まいには固有の歴史があり、ストーリーがあります。

理想論かもしれませんが・・・

少々ブランクが空いたとしても、縁のある人が何らかの形で家を継承すれば「1軒の空き家が埋まる」以上の価値が生まれるのではないかと思います。

そのために必要となるのは、家の保存状態や交通の便といった条件以上に、「帰っても良いかな」と思えるようなまちの雰囲気なのかもしれません。


一見遠回りなようでも、いつか実を結ぶように種を蒔いていく。

日本のあちこちで、今日も気長な種蒔きが行われているのだと思います。


今日の一句

 

遠き日を 想う川辺の 河鹿かな

とおきひを おもうかわべの かじかかな

季語:河鹿(夏)

谷間に響く、カジカガエルの美しい鳴き声。

連綿と続く地域の歴史を想います。

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