スタッフにお願いして、Instagramで記事更新の告知をしてもらうルーティンにしています。
そうすると
「できるだけ遅れず更新したい」
「ましてやフェードアウトして更新が止まったら恥ずかしい」
という気持ちも出てくるので、継続の動機づけになっています。
自ら重ためのテーマを選んでしまい長文かつ更新遅れが続いたこともあるので、今日は過去作品からさらっと…?
当事者たちの、消えない想い。
結婚して6年ほど、子宝に恵まれませんでした。
経験者と出会うとその苦しみや葛藤を分かち合えるのですが、難なく授かった人たちにはリアルに想像することは難しいかと思います。
事実、「はやく子ども作らなあかんで」と関係の近い人からなにげなく言われたことで妻がひどく傷ついていたこともありましたし、僕も、哀れみの気持ちを向けられていると感じることもありました。
その頃は同世代の知人の子どもとの写真をSNSで見るだけでもつらい気持ちになったものですし(その人たちに罪はないとは分かりつつ)、今この瞬間にも「妊活」に取り組んでいる夫婦がたくさんおられることを考えると、こどもたちとのことをありありとブログやSNSで書くのはためらわれます。
ただ、こうしてライフエッセイ的なものを再開すると、自分の関心ごとの比重が子どもたちに移っていることも実感し、話題として避けづらいところもあります。
結論もオチもないのですが、そんな経験をして、今に影響を与えていることを書き記しておきたいと思います。
思考と表現の軌跡 |「祈りを捧げる時間」の長さ
比較的信心は持っているほうだと思いますが、あの時期は殊によく神社に通っていました。
二礼二拍手と、一礼のあいだ。
目を開いて妻を見るとまだ手を合わせていて、もう一度目を閉じて祈り直すこともありました。
沈黙の、実際の時間以上に長く感じるひととき。
終わりのない戦いのような気持ちを抱いたまま、色づく秋の境内の落ち葉や木の実を踏み歩く帰路。
ふと、暗く巨大な真空の筒の中にゆっくりと木の実が落ちて音を立てる光景が思い浮かびました。
これだから俳人は、、と言われそうですね
「神社」「境内」「紅葉」…
推敲の末、「願掛け」に的を絞り、時間軸をテーマに据えて今の形になりました。
「長さ」と直接表現したことに少しの悔い(改善の余地)も残りつつ、今も手を入れることができずそのままになっている句です。
その中身は変われど、今も、手を合わせて祈ることは尽きません。
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願掛けの長き夫婦や木の実落つ
がんかけのながきふうふや このみおつ
季語:木の実落つ(秋)
