田舎にかぎらず、「暮らし」は果てしなき日常の連続。
その日常とどう向き合うかは、自分次第なのだと思います。
『寅さん』の永遠のマドンナ・リリー
少し時間が出来たので、『男はつらいよ』の視聴を再開しました。
名作の誉れ高い、第25作『寅次郎ハイビスカスの花』。
シリーズの代表的マドンナである浅丘ルリ子演じる悲しき歌姫・リリーと3度目の出会いを果たす作品です。
あらすじを簡単に・・・
本作の舞台は沖縄。
旅の果てに沖縄で病床についた旅のリリーが、寅さんへ一度会いたいと手紙を送るところから物語は急転します。
沖縄へ駆け付けた寅さんと出逢えた喜びで、別人のように元気を取り戻すリリー。
退院してからは、寅さんと部屋を借り、半同棲生活を送ることになります。月明かりにハイビスカスの香りただよう島国で過ごす、夢のような日々。
ところが、平穏な日々は長くは続きません。
寅さんの”悪癖”が発症し、日中ぶらりと出かけては水族館の若い女の子にうつつを抜かすように。そのことに気づきながらも、遠まわしにプロポーズを迫るリリー。しかし寅さんは、目を泳がせながら「お互い、そんな柄じゃねぇだろうよ」。
リリーはわっと泣き出し、翌朝、みじかい置き手紙を残して去ってしまいます。
三日三晩飲まず食わず、ほうほうの体で柴又へ帰る寅さん。
ことの顛末を聞いた「とらや」の一同が、寅のしでかしたことに呆れつ惜しみつしているところに、リリーが登場。やはり寅さんを忘れられず柴又を訪れてきたのでした。
夢のような沖縄の日々を振り返りながら、あれこれ会話を交わす二人。
ふとはずみで、今度は寅さんが「俺と所帯を持つか」と口にしてしまいます。
次の瞬間、本人も周りも「あっ」と眼を見開いてリリーを注目。
ところが、リリーはふふっと笑い出し、またご冗談をとばかりあしらってしまうのでした。
「今回もダメかぁ・・・」
ふたりの踏ん切りのつかなさにヤキモキしながら背伸びをしようかと思ったら、不意打ちをくらいました。
ラスト数分に、感動のフィナーレが!
もはやこのふたりにか成立しえない、深い愛の芽生えに涙腺が崩壊しつつ、もう一度再生ボタンを押してしまったのでした。
(ご覧になったことのない方、この機会にぜひ!)
「日常」のありがたみを忘れず。
「旅」は、未知なるものや刺激の象徴。「家族」は、個人の自由を制限する存在でもあります。
どこかに足を落ち着けて「日常」に埋没していきそうになると、反動でスリルを求めてしまうようになるのは人間の業(ごう)ともいえるものなのかもしれません。
わたしたち夫婦は、裸一貫でこの地に飛び込み苦労をともに経験したことで、何気ない日常のありがたみを心から実感するようになりました。
朝起きて、仏さんの水をかえて、田んぼの水を見に行って、パソコンでの作業や外仕事をして、食事をして眠るという、いつもと同じ一日。
しかし、このサイクルが「日常」として定着してくるにつれて、ある種の感受性が鈍り、「そこに無いもの」をまた求めてしまうようになる、と想像すると、それは哀しく、また恐ろしいことです。
あたりまえの暮らしを送るありがたみを忘れないよう、心して一日一日を過ごしていきたいと思います。
今日の一句
冷酒や知らざりし妻のむかしなど
ひやざけや しらざりし つまのむかしなど
季語:冷酒(夏)
映画を観終わり、「なんでここで一緒に暮らすことになったんやろうなぁ」と、妻がぽつりとこぼした一言から、神河町に移住する前後のことが走馬灯のように想い出されました(まだ死にません)。
考えれば考えるほど不思議な縁を振り返りながら、お互いのかつての葛藤や夢を語り合う、深夜のひととき。これだけ長い時間一緒にいても、まだまだ知らないエピソードが出てきます。
グラスに注ぐキリリと冷えた日本酒が、次々と空になっていきました。